活躍の場は世界へ
強化合宿は2カ月に1度行われ、20人の候補選手から人数が絞られていった。当初は「最後まで残れるはずがない」という思いがあったが、選手が絞られていくうちに「代表に選ばれるかもしれない」と心が揺れ出した。
翌年に世界選手権ブラジル大会を控えた年末に実家に帰った。母親とショッピングセンターを歩いていると「手相占い」のコーナーが目に入った。「選ばれるか見てもらえば」と母に促されて、「来年世界選手権があるのですが……」と鷹見が切り出したところ「あなたは今、私にはなれないと思っているでしょ」と自信の無さを指摘された。
「それではなれませんよ。自分が世界選手権に出場して活躍している姿を毎日想像してください。そうしたら絶対になれると言われました。それは占いというよりも、とても大切なことを指摘していただいたと思って、それからは言われた通り毎日良いイメージを持つようにしました。母のおかげですが、これも良いきっかけになったと思っています」
ついに世界の頂点に
2009年春、鷹見は同年8月に開催される世界剣道選手権に出場する日本代表の10名に正式に選出された。監督から直接電話をもらって嬉しかった反面、最初の合宿では、その重圧から「私に務まるのか」と不安になった。思うように動けなかった鷹見に「おまえの替りはいないんだぞ」という監督の言葉が刺さった。その瞬間、日本代表としての覚悟ができた。
そして世界の頂点を目指してブラジル大会へ臨んだ。
「世界選手権は国内では考えられないような異様な空気がありました。指笛を鳴らしたりするので会場内がとても騒々しいんです。日本ではありえない応援で可笑しいくらいでした」
「参加国の選手たちのレベルは国内の大会ほど高くはありませんが、審判も日本の基準とは違っています。それでも日本代表は絶対に負けられないというプレッシャーがありました」
初めての体験に、鷹見は驚くことばかりだったが、半分はその異様な雰囲気を楽しんでいたと言うから、柔和な表情に相反して心は骨太に出来ているようだ。試合は順調に勝ち進み、ベスト4に残ったのは日本人選手3人に韓国人選手が1人。「負けてもそれが私の実力だから」と思い残すことなく挑戦者として準決勝、決勝へと臨み、初出場にして世界選手権の個人戦で優勝を果たした。
インカレ予選の敗退から一転、鷹見は世界の頂点へ立ったのである。