世界の母子の命を救う国際公共財
毎年615万人の「不必要な死」。それを一人でも多く、一刻も早く救うために、私たちは何ができるだろうか?
極めて少人数ではあるが、母子手帳を広めようと奮闘する人々が世界各地で今、大きなうねりを起こそうとしている。母子手帳は、メイド・イン・ジャパンであり、日本が国際貢献をするための切り札のひとつである。同時に、母子手帳は、日本のためだけにあるものではない。世界の国々のそれぞれの事情にあったかたちで活用されることによって世界中の母子の多くの命を救うことができる国際公共財でもある。
バブル崩壊後、四半世紀を経てもまだ、日本経済が依然として厳しい状況にあり、少なからぬ日本人が貧困に喘いでいる今日、日本ができる国際貢献には自ずと限界があることは言うまでもない。しかし、そういう状況であるからこそ、日本の強みを活かした国際貢献が強く求められる。母子保健は、日本がまだ貧しかった1960年代において、すでにアメリカをも凌駕した分野であり、今でも世界最高水準を保っている。
母子手帳は、その過程で切り札的な存在として活用されてきた。さらに、政府開発援助を通じ、日本は、アジア、アフリカなど世界各地で、その普及活用を支援してきた。インドネシアでは、我が国による1993年以来の長年の協力が実を結び、2015年にはインドネシア連邦政府が、全国共通版の母子手帳の改訂を初めて日本の支援なしに実施した。
2015年9月、第9回母子手帳国際会議が、カメルーンの首都ヤウンデで開催された。母子手帳国際会議は、1998年、大阪大学の中村安秀教授のリーダーシップで立ち上げられたものである。JICA(国際協力機構)は、世界16カ国から、当該国の政府関係者、日本の専門家や協力隊員などを送り込んだ。母子手帳を世界の国々が活用することによって、より多くの母子の命が救われる。それに向けたうねりを起こす仕掛けが動き出した。インドネシアの教訓から、アフリカのブルンジが学ぶ。ブルンジの成果にフィリピンの政府関係者が刮目する。カンボジアやラオスにおける進展にベトナムが刺激を受ける……という国境を越えたダイナミックな学びと実践が加速されようとしている。
当然のことだが、母子手帳は魔法のランプではない。単に母子手帳を配れば母子の命が救われるわけではまったくない。中央から地方の最前線までの保健行政全体、さらには、出生登録から水、電気、あるいは病院へのアクセスを確保する道路まで、保健セクターを越えた行政全体の問題であり、そして、なによりも、地域住民自身の教育の程度や意識の問題でもある。それぞれの国の実情にあったかたちと手順で、母子手帳が、その渦中に効果的に導入されることによって、母子の命を守るさまざまな営みが結び付けられ、相乗効果を発揮する。