現在、日本の公立小学校のほとんどで、英語の授業が行われている。その中で、「子どもたちのリスニング力が上がった」「外国人にも物怖じしなくなった」など「効果」を伝える声も聞こえてくる。いや、むしろ世間ではそのような部分にしか光が当たっていないが、残念ながら実態は良いことばかりではない。生徒にとって害となる場合も、大いにあり得るのだ。
誰が英語を教えるのか
2011年から小学校5・6年生で、年間35時間「外国語活動」が「必修化」となる。国語や算数などの「教科」とは扱いが異なる点がポイントだ。「必修化」の場合、教科書や数値による評価がない。必修化までの経緯を簡単に辿ると、2002年度の小学校における「総合的な学習の時間」が創設され、いわゆる「ゆとり教育」が始まった。その学習内容として、国際理解が挙げられ、全国の小学校で英語活動が行われるようになる。さらに、同時期に文科省が打ち出した「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」という言語政策や、世論や産業界の影響など、多くの要因が複雑に絡み合い、2006年には、文部科学省中央教育審議会外国語専門部会が、「小学校での英語教育を必修化する」という結論を出した。
「教科化」ではないため、全国共通の教科書はないと述べたが、補助教材として「英語ノート」というテキストが存在する。しかし、もちろんこれは「教科書」という位置づけではないので、授業中に使用する強制力はない。さらに、音楽や図工のように、専科の先生が常駐しているわけでもない。では、誰がどのように教えているのか。
一つは、担任の先生が中心となるケースである。この場合、最も深刻な問題は、先生の「英語力」である。発音や基本的表現など、英語に初めて触れる生徒たちにとって、非常に重要となる入門期の指導を、「英語」教授の面では素人の担任の先生が行うとどうなるか。生徒が間違った発音や言い回しを覚えてしまうかもしれない。
二つ目は、ALT(Assistant Language Teacher)やNT(Native Teacher)と呼ばれる、外国人の先生がメインの場合だ。もちろん、「本物」の英語に触れるという点ではベストな人材であろう。しかし、外国人の先生が最初から最後までずっと英語でまくし立ててしまうと、ほとんどの生徒は内容を理解できない。予算が潤沢で有名な港区内の小学校を取材した際、外国人の先生がオールイングリッシュで1年生の授業を行っていたが、ポカンとしている子が半数以上だった。そこで、助け舟となるのが担任の先生であれば良いのだが、ネイティブの通訳を担任に求めるのはシビアであろう。
また、外国人の先生は、英語の話し手としてはもちろん申し分ないが、「英語が話せる」=講師として「英語を教えられる」という方程式は成り立たない。例えば、正しい発音はできても、それをどうしたら音として発せられるのか指導できるALTは少ないだろう。
上記の点は、ALTの雇用形態からも覗える。文科省の調査では、ALTの雇用に際して、国が仲介するプログラムを活用した例が25%、残りは民間業者への委託などによる、という内訳になっている。