翌朝は鳥のさえずる声で目をさました。
葉が光り、山の稜線が朝日を背にしてくっきりと黒い。葉の表と裏の陰影が濃い。コオロギやバッタが飛びかい、風は山峡にふきだまる。
この地は光と闇、極楽と地獄が裏表に入りまじり、そのくせおだやかな浄土である。
夷谷(えびすだに)温泉入り口から焼尾(やきお)公園の展望台に登ると、ノコギリの刃のような岩山連峰のパノラマが見渡せた。
眼前左から窓岩(岩に窓形の穴あり)→大仏石(山上に穴あり・樹多し)→中山仙境(ゴツンとした高城(たかじょう)と馬の背。頂がギザギザ)→白岩(一部崩れている)→烏帽子岩(えぼしいわ・奥歯状に尖っている)→七福岩(牙の形をしている)→不動岩(威厳あり)→高岩(ゴツイ岩ばかり)と連なっている。中国仏教の霊地五台山を思わせる景観である。
山麓には水田が広がり、うねうねとあぜ道が曲って、谷底に瓦屋根の集落がある。
そこより、船尾さんが峰入り寒行修行をしている無動寺へと向かった。平安時代に開基された天台宗の名刹(めいせつ)で、高さ150メートルの大岩壁を背にして鎮座している。
本堂内に案内されると、本尊の不動明王坐像(平安後期)を中心に、左に弥勒菩薩、右に大日如来。三像の右は薬師如来座像で、月光菩薩、日光菩薩が脇侍で座し、仏像大物サミットである。仏像が、信仰の対象として、すぐ目の前に、家族のように坐しているのだった。修正鬼会(しゅじょうおにえ)で使う奇々怪々の面もあった。
中嶋浩伝(なかじまこうでん)住職(昭和8年生まれ)は筋骨隆々、眼光爛爛、豪快無比の修験道体育会系豪傑であるが、薬師如来像の指が傷んでいるのを「涙を流しつつ拝していた」という慈悲の心の持ち主である。京都美術院へ修復を依頼したところ、仏像の中から平安後期作とした記録が出てきた。国宝・重文クラスの仏像がゴロゴロと鎮座しているのである。
寺の岩壁には一六羅漢と10人の弟子の像があるが、弟子の1人はどこかへ消えて9人になってしまった。