審査や勧告に強制力はないが、今回の審査で米国は、イラクとアフガニスタンの米軍管理施設で虐待の疑いがある死亡が29件あったことや、各施設に収容されている拘束者の人数を明らかにした。(「毎日新聞」2006年5月20日朝刊)
米国に「閉鎖しろ」と命令することはできないけれど、一定の情報公開に応じさせることはできたということだ。情報公開を求められるとなれば将来の歯止めになることを期待できる。だから、法的拘束力がなくても人権機関の審査にはそれなりの意味があるのである。
「法的拘束力」にこだわりすぎる必要はない
しかし、朝日は「(日本は)法的拘束力を否定する立場を取っている」と書いている。素直に読めば「国際的には法的拘束力を認める見解が多い(少なくとも『ある』)のに、日本政府は否定している」と取れる。だから私は「あれ?」と思ったのである。
他人の書いた記事を読んでハッとさせられることは少なくない。そういう記事を見つけてしまうと、私が間違えたかもしれないと思って調べ直すことになる。とにかく落ち着かないことこのうえない。
専門家に改めて取材してみたが、私の理解は間違っていなかった。女性差別撤廃委員会の勧告は「法的拘束力を持たない」のであり、「法的拘束力がある」という主張を見つけることはできなかった。そもそも女性差別撤廃条約は、委員会の機能として「提案及び一般的な性格を有する勧告を行うことができる」(第21条1項)と定めているのである。「提案」や「一般的な性格を有する勧告」に強制力を認めるのは難しいだろう。
政府幹部の中には「朝日らしい書き方だと思った」と話す人もいたが、そういうレベルの話だろうか。慰安婦問題というのは非常にセンシティブなテーマであり、記事を書く時には常に細心の注意を払う必要がある。朝日新聞の記者がそんなことを知らないはずはないと思うだけに、「なんでこんな書き方をしたのだろう」と不思議でならない。
合意の履行にあたって元慰安婦の意向に配慮すべきだとか、元慰安婦をいたずらに傷つける発言は自制せよというのは、きわめて常識的な内容だ。委員会の勧告に法的拘束力はないけれど、それでも国際的な視点として尊重すべきである。素直にそう書けば十分だったのではないだろうか。