2024年11月22日(金)

安保激変

2015年12月30日

 戦後70年の節目の年が終わろうとしている。2015年は、安倍政権の歴史認識と平和安全保障法制に国内外の注目が集まった。歴史認識問題は、8月の安倍総理談話が中韓など一部を除いて国外で歓迎され、国内でも大きな反発はみられず、一応の決着がついた。総理談話の線に沿って、韓国との間で長年の懸案だった慰安婦問題についても、進展があった。一方、平和安保法制は国際社会からは概ね歓迎されているが、国民の多くの理解を得られたとはいえないのが実情だ。

 平和安保法制への国民の理解が深まらなかったのは、野党の非建設的な批判が影響した。法案の審議が始まった当初、野党は攻め手を欠き、法案の中身よりも、重箱の隅をつつくような質問が相次いだ。ところが、衆院の憲法調査会で3人の憲法学者が同法案について「違憲」と意見表明すると、野党はこれに便乗し、「違憲な」法案の破棄を求めるようになった。加えて、戦後70年という節目に多くの国民が戦争の悲惨さや不戦の誓いを新たにする中、野党やリベラル系メディアがこれを「戦争法案」と呼び、国民の不安を煽った。

2015年夏、安保法制に反対する市民の反対運動が各地で起きた(Getty Images)

かつてはあった建設的な議論が失われた日本

 特に民主党の対応は無責任だった。民主党政権時代でも、集団的自衛権の行使と集団安全保障への参加の拡大は検討されていた。にもかかわらず、岡田・枝野執行部は対案をとりまとめることを放棄し、代わりに「反対のための反対」という道を選んだ。民主党の中でも、長島昭久議員などから建設的な対案を求める声も上がったが、執行部にかき消された。結果として、民主党は支持を伸ばすこともなく、国民の信頼を失い、解党の一歩手前に自らを追い込んだ。

 維新の党は集団的自衛権の行使にも前向きだったため、安保法制に当たって自民党と協力できる余地もあった。だが、内部抗争を抱えた維新の党がまとめた対案は、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大で行うというものであり、また海上交通への脅威に対しては自衛権の発動は行わないという非現実的なものだった。集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大とするのは、そもそも国連憲章違反になる。また、日本は貿易立国であり、第二次世界大戦の敗戦も通商破壊と海上封鎖によってもたらされたことを考えれば、海上交通の保護は最重要課題の1つだ。維新の党が現実的な対案を出せなかったため、結果として安保法制に関して公明党の影響力が増すことになった。

 有識者や市民団体、著名人も、法案の中身を理解しないまま、反対運動を繰り広げた。特に、SNSを利用し、全国でデモを繰り広げた学生団体「SEALDs」に注目が集まった。野党やリベラルな知識人は安保闘争の再現を狙ってか「SEALDs」を持ち上げたが、デモでは「安倍を叩き切る」など過激な主張も出てきたため、国民の共感を得ることに失敗した。「SEALDs」の限界はまた、今の日本の言論界におけるリベラルの限界を表している。

 かつて、日本では『中央公論』と『世界』を中心に、現実主義者と理想主義者が論陣を張る論壇が存在した。現実主義者は勢力均衡の観点から日米安保を肯定し、理想主義者は「一国平和主義」の立場から非武装中立を唱え、議論を戦わせてきた。前者の代表だった故高坂正堯教授は、非武装中立論が勢力均衡を無視している点を批判しながらも、理想主義者たちが日本国憲法の平和主義の理念を国際政治に取り入れようとする努力を評価した。国家が追求すべき価値を考慮しないなら、現実主義は現実追従主義になってしまう。どのような国家を目指すのかという視点を、かつての理想主義者たちは提供しようとしていたのだ。

 しかし、今日の日本には論壇は事実上存在せず、双方が交わることのない議論を繰り広げている。日本から論壇が消えた主な理由は、リベラルな知識人が現代の国際社会において日本が追求すべき国家像を提供できていないからだ。中国による現状変更や、イスラム国によるテロ、シリアの難民問題など、国際社会が直面する問題を解決するには、武力を否定し、対話を呼びかけるだけではだめなことは火を見るより明らかだ。リズムに乗って「戦争反対、憲法守れ」とただ叫ぶ「SEALDs」の姿は空虚に映り、彼らの思考停止を物語っていた。多くの国民は彼らの運動に理念がないことを見抜いていたのではないか。


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