大胡田 竹下先生は司法試験に受からなくて、あきらめようと思っていた9回目で受かるんです。
以前は司法試験に点字受験がなかったので、先生には受験資格がありませんでした。それで竹下先生が中心になって「点字試験がないのはおかしい!」という運動を起し、賛同してくれる方たちも増えていってようやく認められるようになりました。その運動の中心人物が先生で、視覚障害者弁護士の第1号になられたのです。
初瀬 僕も弁護士を目指しながら、大学生のときに緑内障で視力を失って諦めたのですが、その当時にあの本を読んでいたら、「自分にもできるんだ」と思って弁護士を目指していたかもしれません。
弁護士を目指し山籠もりのような日々を送る
初瀬 大胡田さんにとって、まさに運命の出合いだったわけですが、それ以来ずっと弁護士になることが夢ですか?
大胡田 はい、変わらず、ずっと夢でした! 高校卒業後は、沼津に戻って一浪して慶應義塾大学に合格するのですが、浪人生の時期はかなり勉強しました(笑)。
ボランティアさんに点訳をお願いしたのですが、点訳すると凄く文字量が増えるんです。たとえば英語の辞書ですと、本棚いっぱいになるくらいです。僕が勉強できたのはボランティアさんのおかげなんです。
初瀬 当時は今のようにパソコンが発達していませんから、点字で勉強されていたのですね。ところで大胡田さんは大学何年生から司法試験を受験されましたか?
大胡田 受験は4年生のときからです。3年生の頃から司法試験予備校の通信教育を始めました。だいたいの学生は4年生で受けるのですが、なかなか受かるものではありません。ですが、受ければそれだけ場馴れしますからね、それも必要なことです。中には3年生で受かる人もいますが、僕は受かりませんでした。超難しいです。というよりも問題が多すぎて全部読み終わらないうちに試験が終わってしまうんです。それじゃ受かるはずがありません。
初瀬 通常の1.5倍の時間をもらっても、点字ではまったく時間が足りないということですね。 大学卒業後はどうなさったのですか?
大胡田 4年生で卒業して、その後は沼津に帰って司法試験浪人生です。とにかく、こつこつ勉強しました。通信教育のDVDがあるのでそれを使って勉強して、毎日が山籠もりの気分です(笑)。中学生の頃から東京に出ていましたので地元にあまり友達がいないんです。目が悪いので出掛けることもなく、あの時期は本当に孤独でした。