ひるがえって我が国は美術館と博物館の明確な違いが明確にないままに発祥し、その最初は1872年(明治5年)に開館した東京国立博物館だった、という点は本書で初めて知った。そして、都心からやや離れた上野が芸術の中心になったのは上野戦争のあとに焼け野原になっていたからであり、明治政府が都市公園計画として整備したことに始まるという経緯は、日本史に詳しくない自分にとっても興味深かった。
主催者が変遷する日本の美術展
日本の美術館の発展に新聞社がかかわってきたという指摘にも注目させられた。1950年代から70年代にかけて資金力と海外ネットワークを持っていた新聞社が大きな役割を果たしてきたという事実は、新聞社に勤める者として非常に興味深い点である。今でも新聞社の文化事業部門は、様々な展覧会などを開催しているが、専門知識を持っている社員も多く、その道のプロである。常に国内や世界の動向を見ながら、魅力的なイベントを開催しようと知恵を絞っている。
今でこそいろんなチャンネルがあるのだろうが、海外から絵画を借りる交渉を行って安全に輸送し、大きな会場で展示会を開いて、多くの来場者を集めるということができるのは、当時は新聞社をおいてほかになかったのだろう。筆者の所属する読売新聞がかつて関わったイベントに「バーンズ・コレクション展」があるが、上野に長蛇の列ができていたことを今も鮮明に覚えている。
近年は、デベロッパーの造る美術館、例えば大型複合文化施設のBunkamura や森ビル系列の森美術館、本書の著者が館長をつとめる三菱一号館美術館などもそのその一つだが、こうした新しいコンセプトの美術館ができてきて、主催者が変遷しているのも日本の美術展の特徴だといえる。
学芸員が関心の的になる欧米
本書では美術館のクオリティを影で支えるキュレーター(学芸員)の役割なども非常に重要であることも教えられた。欧米では美術館長や有名学芸員の人事がメディアの関心の的になり、街中のカフェで話題になるという。西洋の美術に対する感度の高さや関心の度合いの違いを強烈に感じられて面白い。それだけごく普通の市民に広く受け入れられているのである。やや次元は異なるが、日本であえていうなら、人気プロ野球球団の監督に誰が就任するのか、といった関心の持たれ方なのかもしれない。
このほか、本書では、美術品を展示するにあたっての様々な配慮や、壁の色、ライティング、会場のレイアウトなど「見せ方」の工夫についても言及されている。文字通り「舞台裏」のことがいろいろとわかる内容となっている。
こうした予備知識を持って美術館に足を運ぶと、また新鮮で面白い発見があるだろう。筆者は美術分野には全く不案内だが、なんとなく楽しめそうな気がしてくるから不思議だ。本書とともに、近くの美術館を訪ね歩いてみるのも悪くない。
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