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2016年5月27日

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田村明子 (たむら・あきこ)

ジャーナリスト

盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『挑戦者たち-男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で2018年ミズノスポーツライター賞受賞。

吉田イサヨさんのパスポート(著者撮影)

「排日移民法」で入国は困難だったはずだが……

 帰宅してから博物館のサーチエンジンを使ってみると、彼女が上陸したのは1925年となっていた。

 ところがその1年前の1924年1月、米国政府はJohnson Reed Act、通称悪名高き「排日移民法」を設置している。後の太平洋戦争開戦の遠因になったという説もあるこの法律により、日本からの移民の入国は極端に制限されるようになった。

 それではイサヨさんは、どうして1925年に入国できたのか。

 不思議に思って博物館に問い合わせると、色々な興味深いことがわかった。
まずどういうわけなのか、サーチエンジンで出てきた彼女の到着年、1925年は間違っていた。

 博物館の担当者が調べてくれたところによると、彼女は1917年12月22日に日本を出発し、1918年1月15日にサンフランシスコに上陸。パスポートは、遺族によって1988年にこの移民博物館に寄付をされたのだという。

 日本からどのようなルートをたどってエリス島に上陸したのか不思議だったが、これも謎がとけた。この移民博物館で扱っている資料は、エリス島から入国した移民のものだけではなかったのである。

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