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2016年5月27日

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田村明子 (たむら・あきこ)

ジャーナリスト

盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『挑戦者たち-男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で2018年ミズノスポーツライター賞受賞。

博物館には他の日系移民の写真も展示されている(著者撮影)

“黄禍”と呼ばれた日本人

 私が子供のころは、海外に行くのはごく一部の、恵まれたお金持ちの人だけだと思っていた。だから19世紀末から、日本人が移民としてアメリカに大勢渡っていたと知ったときは、驚きだった。

 低賃金でも文句を言わずによく働いた日系移民は、そのうちアングロサクソン社会に脅威をもたらすようになり、Yellow Peril(黄禍)と呼ばれる反アジア移民、後にはもっと日系にターゲットをしぼった反日運動に面することになった。

 イサヨさんがサンフランシスコに来る5年前の1913年には、California Alien Land Law of 1913、俗に排日土地法とも呼ばれる法の成立によって、米国市民権獲得の資格がない日系人は、土地が購入できないという法が設置されている。

 おそらくその頃に撮影されたものだろう。サンフランシスコの一般民家の軒先に、「Japs keep on moving. This is a white man’s neighborhood.」(ジャップは立ち止まるな。ここは白人の住居地である)と巨大なバナーが掲げられ、女性がそれを指差している写真も、博物館には展示してあった。

 私は1980年からニューヨークで36年暮らしてきたけれど、少なくとも面と向かってジャップと呼ばれたことはまだ一度もない。日本人だからといってあからさまな差別を受けることはほとんどないと言って良いと思う。

 だがイサヨさんが移民してきた当時は、アジア系に対する差別は公然とあった。当時の日系移民たちは、どれほどの思いを耐え偲んできたのだろう。もうあのような野蛮な時代が来ることは、二度とないだろう。

 と思っていたのだけれど、このところ雲行きが怪しくなりつつある。

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