2024年7月18日(木)

Wedge REPORT

2016年5月20日

 それに偽装問題を受けて、三菱自の株価が急落。「機を見るに敏」(業界関係者)なゴーン社長は一気に三菱自を飲み込む決断をしたとみられている。それというのも日産と三菱自との間では軽の生産拠点となっている三菱自の水島製作所(岡山県倉敷市)の買収交渉をした経緯があったが、「価格面で折り合いが合わず頓挫した」(業界関係者)という事情もあり、「ゴーンは安い買い物をした」(同)とみられているのだ。

 さらに日産にとっては三菱自を介して三菱グループとの関係を深めるメリットは大きい。なかでも三菱商事はタイなど東南アジアやロシアなど新興国市場の自動車ビジネスに強みを持っており、日産・仏ルノーグループとのシナジー効果を今後、拡大する可能性が強い。

孝行息子からの転落

 一方で三菱グループは引き続き、三菱自動車を支えていく方針のようだ。グループ内に新興国を中心に成長産業である自動車産業を抱えるメリットは各社にとって大きいうえ「(三菱自が)日産と様々な交渉を行っていくうえでグループがバックに控えていれば心強いのではないか」と話す三菱グループ関係者は多いのだ。かつて90年頃、三菱重工、三菱電機、三菱自工、三菱商事のグループ4社はドイツの「ダイムラーベンツ(当時)」と提携交渉をしたことがあるが、当時の飯田庸太郎・三菱重工会長は「交渉の中心は自工。ベンツと交渉する際、バックに三菱が付いていれば舘(豊夫=当時、三菱自工会長)さんも心強いだろう」と話したことがあるが、今回の日産とのケースでもこれが当てはまらないとは言い切れない。

 こうしてみると三菱自はグループの甘えん坊と見えなくなくもないが、実は三菱自はグループの孝行息子とみられたこともあるのだ。かつての造船不況時、造船大手各社は造船所の閉鎖に追い込まれ、各社とも大規模な人員削減を実施したが、三菱重工は「1人の削減をすることもなくこの難局を乗り切った」(三菱重工関係者)。その陰にあったのが三菱自動車、三菱重工の自動車部門をルーツとする三菱自は「モータリゼーションの波に乗って業容を拡大、88年12月に株式上場を果たすが、これによって重工は多額の売却益を得たうえ、造船部門の余剰人員も自工が受け入れることによって乗り切った」(同)のだ。

 甘え続ける三菱自。この先、日産の傘下に入っても続けていくのだろうか。

  
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