また、「オバマ大統領が広島を訪れることは、『日本に対する謝罪』と受け取られる可能性がある。当時、日本軍とたたかった米軍兵士とその家族の心情を傷つける」という議論もある。
オバマ大統領は、以上のような様々な議論が米国内で依然としてあることを考慮したうえで、広島訪問を決めた。つまり、米外交の文脈の中でも、この決定は極めて重要な決定なのだ。
米外交を模索し続けたオバマ政権の8年間
ではなぜ、オバマ大統領は広島訪問を決めたのか。単に「核のない世界」に対する決意を再び訴えるだけならば、「核のない世界」について初めて訴えたのがプラハであったことを見てもわかるように、広島のように、原爆の記憶が今でも生々しく残る土地を訪問する必要は必ずしもない。安倍総理への配慮だという指摘もあるが、前述の米国の議論を見てもわかるように、日本への配慮という観点だけで決められるような単純なものでもない。
振り返れば、オバマ政権の8年間は冷戦時代以降アメリカ外交が抱えてきた「過去の負の遺産」に、どのように一定の区切りをつけ、今後のアメリカ外交にどのような新たな方向性と意義付けを持たせるかを模索し続けた8年間であったといってもいい。核プログラムに関するイランとの合意、キューバやミャンマーとの国交回復、ベトナムやフィリピンとの関係強化……オバマ大統領は、その任期中、これまでのアメリカ外交でいわば「タブー」とされてきた課題に取り組み、新しい方向性に舵を切る端緒をつけてきた。
その判断の是非は、後世に任されるものとなるが、少なくとも、アメリカの国力が相対的に低下しているという現実を踏まえ、それでもアメリカが、指導的役割を発揮し続けるためにはどうすればよいのか、という課題に真正面から取り組んだのがオバマ政権の8年間だったのではないだろうか。
そうだとすれば、オバマ大統領が「歴史を直視することは重要だ。歴史について対話を持つことは重要だ」(ベン・ローズ国家安全保障担当大統領副補佐官)という心情に基づいて広島を訪問し、そこで第二次世界大戦で命を落としたすべての人々を追悼し、未来志向の声明を出すことは、ある意味、自然な流れであるといえる。