足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年6月4日

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 母がもっとも輝いていたのはいつなんだろう、と今回私は考えてみた。

 島根県安来市の、両親が教師(祖父が小学校校長)の家に長女として生まれた母は、いわば「田舎のお嬢さん」だった。

 終戦(1945年)の年に、遠い親戚にあたる鳥取県境港の父(海軍少尉)と、19歳で結婚した。その時、だろうか?

 戦後、私たち3人の息子が生まれた。昭和33年(1958年)に私たち母子は、首都圏で自衛官として勤務していた父を追って鳥取県から引っ越してきた。その時か?

 私はどうも、その時だった気がする。

 私が母の「衝撃的ファッション」を目にしたのは、転居後半年ほど経った初夏だった。

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 ある日私は、庭で白いホットパンツを穿いた母の姿を見た。太股、丸出しである。

 小学校5年生の私にとって、太股丸出しのホットパンツは映画女優(か近所のトンデル小母さん)専用の服装だった。まさか自分の母親が穿くなど、夢にも思わなかった。

 恥ずかしい、が、少しカッコよかった。

 住んでいた横浜市六浦の官舎は、小さな一戸建てで、生垣が巡っていた。そこへ毎日御用聞きがやってくる。米、野菜、ビール、氷、石炭、ちり紙、どんな品物でも朝頼んでおけば、夕方届けてくれる。ホットパンツ姿で御用聞き青年と生垣越しにテンポよく会話する母は、まさに「都市マダム」だった。

 そういえば、当時母がよく言っていた。「(曽祖母の世話から解放され)初めて町で一家を持てた。お母さん、すごく嬉しい」と。

 私はその頃、別れた境港の友人たちのことを思い感傷的になることが多かったので、「母さんは全然違うんだ」と意外な気がした。

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