足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年11月20日

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 私は9歳まで生まれ育った鳥取県境港市にいたが、生家は今や跡形もなく、家のあった場所はごく普通の駐車場になっている。

 その家が更地と化したのは1997年8月末だった。約1カ月半後、私はたまたま講演で故郷を訪れていて、会場にきていた大家から「台風の影響が予想以上で、空家だったし、取り壊しました」と聞き、急いでタクシーを飛ばして現場に見に行ったのだ。

 生家の跡地に立った私はひどい脱力感を覚えた。境港市は長さ20キロの弓ヶ浜半島と呼ばれる砂州の突端にあるため、本来砂地なのだが、明治初年に建てれた古い家屋の輪郭も、私の幼少年時代の舞台だった菜園も庭木も小池も井戸も、すべてきれいサッパリと消え去って、元の白い砂地に戻っていた。

 地球上から消失してしまった、『少年ケニヤ』の『紅孔雀』の『少年探偵団』『赤胴鈴之助』の、あの宝石のような時空間……。

 生家の場合、私は自らの軌跡の完全喪失をうすうすは予感していたと言える。

 1957年の冬、父親の仕事の都合で我家族は首都圏に転居したが、その後、生家には叔母の一家が入り、従姉妹たちが中学生になった頃、叔母一家は生家を売り、米子市郊外に家を新築してそこへ移り住んだからだ。

 その間、私は夏休みなどに数年おきに帰郷していたので生家の変遷を見てきた。

 従姉妹がいた頃の生家は昔とさほど変わらなかったが、私が高校生時代、生家には見知らぬ人が住んでおり、懐かしい家や裏庭に入れなくなった私は、時折訪れて何度も何度も家の周囲を歩き回ったりした。

 そして長い時間が経過した。外から眺めると、旧生家は歪み、多少は縮んだようだ。

 消滅する2、3年前に仕事で境港市を訪れた時、町で偶然大家に出会い、「塀の中の様子を家の裏側から見たいのだが」と頼んでみたことがあった。大家は許可してくれた。

 家には中年の男性が一人で住んでいた。ところどころ改築されていたが以前の面影はあった。庭の方から母屋を覗くと、家の中に暗く、なおも近寄ればそこに子供時代の私や弟たちが蠢めいているような気がした。

 その生家が消滅し、現在は駐車場。

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