2024年11月25日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2017年1月15日

 貧しいミャンマーの人々が立派で豪華な寺院を立てて多数の僧侶を養っているミャンマーの社会構造が不思議に思えた。貧しい庶民はなぜ乏しい懐からなけなしのお金をお賽銭やお布施に投じるのであろうか。恐らくどんなに貧しくとも小乗仏教のバックボーンがあるから来世を信じて生きて行けるのであろう。

小乗仏教のマクロ経済学的分析

アイドルのような寝仏さんとその仲間たち

 ふと思った。ミャンマー社会の特異性を数値化したら理解が深まるのではないか。例えばミャンマーのマクロ経済のなかで仏教関係の支出はGDPの何パーセントになるのであろうか? 投資項目における寺院の建設・維持費用、全人口にしめる僧侶・修行僧の比率などを勘案して計算できないものか。それは日本や欧米諸国の宗教関連支出の対GDP比率と比較するとかなり大きいのではないだろうか。

 他方でおそらく熱心な仏教信仰のお陰で犯罪が少ないとか、麻薬・ドラッグ依存症や精神病疾患が少ないとか、老人や障害者への公的介護負担が少ないとか、また寺院が初等教育の一部を補完しているなどの仏教が果たしている経済効果も計算したらミャンマー社会における仏教の果たす経済的効用が見えてくるのではないか。開発経済学などの専門家の見解を聞いてみたいと思う。

ソ連邦崩壊後の混乱と信仰

ヤンゴン市内のインド人街の金物問屋

 ミャンマーを歩いていて私は20年以上前のロシアの光景を思い出した。私は1991年のソ連邦崩壊後の数年間モスクワに何度も出張した。私が出張していた時期はソ連邦が崩壊しロシアは混乱の最中であった。

 ソ連邦時代の不良債権の回収という出張目的であったが取引先は倒産、雲隠れ、支払保証した金融機関は改組され債権債務の継承が不明瞭というような状況であった。町に出てもソ連邦時代の国営商店は商品もなく開店休業状態、代わりに町には貧しい物売りが溢れていた。郊外の農家は現金収入を得るべく路上に野菜や果物を並べていた。


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