2024年11月22日(金)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2017年2月10日

意外過ぎるメジャー挑戦の理由

 「アメリカの自由な生活。ただそれに憧れた」。日本での知名度は日に日に高まっていく。名古屋では知らぬ者がいないスーパースター。そんな中、オフに休暇で訪れたアメリカで目撃した〝普通〟の光景が、脳裏に焼き付いた。

 「大きな車に大きな犬を乗せて、公園で遊んでいる。道はとんでもなく広く、ゴミ箱のサイズもありえないくらいデカイ。あらゆるものが自由に見えた」

 いつの間にか、名古屋では堂々と歩けなくなった。帽子を目深にかぶり、俯(うつむ)いて歩く。そんな姿に外国人選手は、「なんで下を向いて歩くんだ」と、不思議がった。スーパースターの宿命。そんなしばられた環境が、川上の目をアメリカに向けていった。

 「中日を離れる気はなかった。メジャーリーグに興味があるわけでもなかった。でも、それ以上にアメリカで生活をしてみたかった」

 08年オフ、海外FA権を行使し、09年1月、アトランタ・ブレーブスと契約した。初のメジャーでのキャンプ。選手は各自でグラウンドに集まり、自らの練習が終わったら帰っていく。コーチからも、「午後からはゴルフに行ったらどうだ?」と提案されるなど、日本とはまったく違う文化に、求めていた“自由”を体感していた。「とうとう、アメリカだよ。って、心躍ったよね」。

 しかし、シーズンに入って1カ月。滑るボール、硬いマウンドに慣れず、肩を痛める。結果の出ない川上に対し、キャンプ中は仲の良かった記者も、辛辣な記事を書き始める。ファンはヤジを飛ばした。

 「単純に知らないことが多すぎた。メジャーで野球をやる準備には程遠い状態だった」

 波に乗れない中でもがきながら、川上は3シーズンをアメリカで過ごした。11年、ブレーブスとの契約が切れ、中日ドラゴンズに復帰した。


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