「たしかに、あの試合は人生のターニングポイントになったと思う」
あの試合──それは、1998年夏の甲子園。延長17回の死闘の末に、平成の怪物・松坂大輔を擁する横浜高校がPL学園に勝利した試合のことである。18年経ってもなお色褪せることのないあの試合で、当時高校2年生だった田中一徳は、伝説の主役の一人だった。
「あの日、朝3時半に目が覚めて、まだ真っ暗な心斎橋のホテルの屋上で1人でバット振ってね。試合が楽しみで楽しみで、抑えられなかった」
同年春のセンバツ甲子園。田中は初めて松坂と対戦した。松坂が投じたスライダーにバットは空を切り、ボールはそのまま足に当たった。
「こんな球、見たことない」
野球を始めて以来最大の衝撃と、焦りにも似た闘争心が、一気に心を満たした。
「この球を打てなきゃ、勝てない」
来る日も来る日も、足に当たったスライダーを思い出し、バットを振った。
「ちょっと、大袈裟にイメージしすぎてたのかな。実際の松坂さんが、大したことなく見えてしまった」
はにかみながらそう振り返る。田中はこの試合、松坂から4安打を放った。あの松坂から4安打を放った2年生─。世間の田中に対する評価は一変した。溢れ出る向上心は田中を突き動かし続けた。
「なんせ、野球が好きやったからね」
兵庫県尼崎市で生まれ育ち、甲子園は常に身近にあった。松井秀喜の5打席連続敬遠も現地で目撃し、幼少期から野球は田中の人生そのものだった。
「とにかく、もっと上を目指していた。現状に満足することなんて、ありえなかった」
99年、横浜ベイスターズからドラフト1位で指名を受け、入団した。