「吉見がエースになり、浅尾が大活躍するなど、わずか3年で別のチームになっていた」
エースとして投げ続けた過去の中日ではない。プレッシャーはなく、自らがすべきことに集中できる環境があった。しかし、37歳となった川上の体に、変化が起き始めていた。
「肩以外のところが痛くなり始めた」
一度バランスが崩れた体は、簡単には戻らない。この年を境に、最大の武器であったコントロールにも陰りが見え始めた。翌13年、肩の状態が回復し始め、いよいよこれからという時期に、球団事務所に呼び出された。
「契約更改の話だと思ったら、『来季の契約はしない』という話だった」
突如言い渡された戦力外通告。しかしその1カ月後、谷繁元信が選手兼監督に就任。そのタイミングで、川上は再度中日からオファーを受ける。
「戦力外と言われ正直とてもショックだった。肩の状態が良くなっていたからなおさら、来季にかける思いがあった。どこからか声がかかるのを待っている中で、中日から声がかかった」
14年、開幕戦のマウンドには川上が立っていた。戦力外通告を受けながら、翌年同じ球団の開幕マウンドに立つことは、これまではもちろん、これからもそう見られることではない。翌15年も中日でプレーをしたが、ついに右肩は自分の力では上がらないほどに悪化した。同年オフ、球団から再び戦力外と告げられコーチの要請を受けたが、これを断る。
「肩がダメで終わるより、肩が良い状態で終わりたい」
太ももの筋膜を右肩に移植し、半年間のリハビリを終えた川上は、現在プロ野球復帰に向けてトレーニングに励んでいる。まずは肩の状態を万全にし、独立リーグを経るなどしてプロ野球に復帰するというプランをもつ。
「半分はムリだという気持ちもある。でも、『満足だ』と言って辞めていきたい」
真剣な表情の川上の目が、キラリと光る。「それにね、『プロ野球選手になりたい』という夢をもう一度目指せるって、すごく楽しいんだよね」。
純粋な思いは人を動かす。川上憲伸の物語は、まだ終わっていない。
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