2014年大学3年生で女子セブンズアカデミーに召集され、その後、日本選抜として「ラスベガス招待大会」と「香港女子セブンズ」に出場した。
「香港女子セブンズ」では第2戦以降先発メンバーとして、カップ準決勝、3位4位決定戦まで3試合に出場しているが、第2戦のアイルランド戦しか記憶に残っていないという。それも良いタックルが決まったという記憶だけだ。どんな試合も夢中になり過ぎてほとんど覚えていない。
試合結果は「日本選抜27-12アイルランド」で勝利を収め、後半4分に平野も1トライをあげている。
「試合前のジャージ授与式のときに一人ひとり前に出て話をするのですが、ヘッドコーチからは『こういうときに泣いてしまう選手がいるけど、気合の言葉を吐くように』と言われたのですが、私は泣いてしまいました」
「日本選抜とはいえ桜のマークがついたジャージを着るのですから日本の代表です。それが嬉しくて、最初に思い浮かんだのは家族の顔でした」
試練のとき
「香港女子セブンズ」の翌月、平野はスピードランナーにありがちな肉離れを起こした。その後、大学4年生で女子セブンズ学生日本代表に選出され「第6回 世界学生選手権」に出場を果たすも、ベストパフォーマンスが発揮できず不完全燃焼に終わった。
その巻き返しを図り、その年の12月に行われた日本代表候補合宿に臨んだ平野は、膝の前十字靭帯と半月板を損傷する怪我を負った。
「代表候補合宿は毎回が勝負です。すべてがリオに繋がっていると思って頑張っていました。怪我をしたときは音もしましたし、やっちゃった!とすぐにわかりました。でも、リオの夢がなくなったとはまったく思いませんでした。今回のセレクションという短期的な意味では終わったなという気持ちです」
「大きな怪我をして日本代表候補に復帰してきた先輩もいたので、私も絶対に治して戻ってくるぞって思って気持ちを切り替えました」
2015年3月。平野は日本体育大学を卒業し、女子ラグビーチームYOKOHAMA TKMを運営する医療法人横浜柏堤会に就職した。決めた理由は、仕事と練習環境が整っていたからだ。
しかし、最初の半年間はリハビリ生活からスタートした。練習する仲間を横目に、忍耐を強いられる日々が続いた。ただ、その忍耐もリオに繋がる道程だと思っていた。