不漁時に鮪が高騰したために
ではどうしてそんな部位を握って提供したのだろうか? それは吉野鮨本店の開店事情とも関係があるという。
同店の初代・吉野政吉(まさきち)氏は、料亭で10年ほど修業した後、独立したいと思うようになった。とはいえ料理屋を出すほどの資金はない。そんな折、日本橋の魚河岸そばに並ぶ鮨の屋台を見て閃(ひらめ)き、屋台の鮨屋を始めたそうだ。明治12年(1879)のことである。内店(店舗)を構えたのは、その3年後。
トロ握りが誕生したのは、2代目の正三郎(しょうざぶろう)氏に代替わりしてから。
「その頃でも、まだ鮨番付表に名前が出ないような店だった。だから、鮪が不漁だった時に、赤いところに手が出なかったんですよ、値段が高くて。そこで魚河岸で脂っこいからアブと呼ばれていたところに手を出した」
やむを得ず仕入れて握った鮨を、気に入ってくれた客もいた。そういう客は次の来店時に注文しようとしたが、名前が分からない。
「そのため、『色の段だらの』とか『霜降りの』とか言ってたらしいんですけど、名前がないと不便だと、常連のお客さんが『口の中に入れたら、トロッとする。じゃあトロにしよう』とおっしゃって、決まったそうです」
正三郎氏の後を継いだ3代目・曻雄(ますお)氏は、役者としても活躍した異色の料理人だ。戦時中、信州に疎開したが、そこでは鮨は売れない。そのため劇団を作って慰問の旅回りをしたという。「吉野鮨本店」は昭和24年(1949)に再開されたが、曻雄氏は役者も継続。野口元夫(もとお)の芸名で数々のドラマや映画に出演した。特に「事件記者」(NHKで昭和33~41年に放送)の山本部長刑事は当たり役だった。