自分へのごほうび。
少々、気恥ずかしい物言いだが、そう自分に言い聞かせてでも、訪れたい店がある。
「おふくろの味」に代表される、家庭料理の美味しさは、慣れたものに対する安堵の感情から来るものだという。それとは逆に、ヒトには何か新しいものに対する好奇心もある。食べたことがないものを食べたい。新鮮な驚きを味わいたい。
大風呂敷を広げれば、そんな想いが狩猟採集の暮らしから、文明を築き上げてきたと思うのだが、とりあえず、言いたいことは、特別な外食に求めるものは、驚きではないかということである。あら、こんな美味しさもあったのか。そんな具合にビックリする幸せに浸りたいのだ。
「新しい味の発見は新しい天体の発見にも勝る」と、フランスの食の古典中の古典、『美味礼賛』にサバラン先生も書いている。
食いしん坊の文豪、開高健さんの『新しい天体』という小説があるが、このサバランの言葉から取ったタイトルである。やはり、発見の美味、驚きこその美味だと、文豪も言いたいのだ。
私にとって、訪ねるたびにその「新しい天体」の発見を実感するお店は、大阪にある。そこで食べるためだったら、いつだって新幹線に飛び乗る。財布と妻さえ許してくれれば。許してくれなければ、「自分へのごほうび」というおまじないを唱える。
まあ、そうはいっても、私など、東京からの可愛らしい旅である。「ここでの食事のためなら」と遠路はるばる国外から飛んで来る、世界の有名シェフも少なくないのだ。それと比べたら。
店の名を「カハラ」という。
大阪の歓楽街、北新地の雑居ビルの二階にある。元々は鉄板焼きの店であったというルーツを示すように、鉄板があるカウンター。それだけの、席数も七つか八つだけの小さな店である。さすがに趣味はよろしいが、説明もなしに連れて行ったら、それほどの店だとは思わないかもしれない。しかし、食べ始めたら、すぐに納得するはずだ。新しい天体の発見だと。
たとえば……。
シャンパングラスに微発泡の少し甘めの日本酒。そこに粗めにおろしたワサビのボールを。溶けて緑に染まり、泡立つ様が美しく、爽やかな刺激とほのかな甘さのバランスに酔う。
オーナーシェフの森義文さん自身が塗ったという漆の盆に八寸のように盛られた中には、どのように切れば出来るのか分からず、微笑を誘う芋のチェーン。湯引きしたハモにタスマニア産の粒の大きなマスタードを載せた一品も小さな驚きだし、冬場、フグの白子のフライにそのマスタードを添えたものにも、笑ってしまう。幸せで。