今回の「障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド」は、世界盲人連合アジア太平洋地域協議会(以下、WBUAP) の会長として活躍されている田畑美智子さんをお迎えしました。
世界盲人連合(WBU)とは、それぞれの国における視覚障害者の当事者及びその支援者などの団体、約600が加盟する国際組織であり、田畑さんが会長を務めるWBUAPは、北はモンゴル、南はオーストラリア、西はミャンマー、東はニュージーランド、そして東南アジアの全域を含む広大な地域をカバーしている組織です。
そのWBUAPでは視覚障害者自身が意見を形成し、発言していくための当事者組織の育成と強化などに取り組んでいます。
初瀬:この企画は、障害を持ちながらも社会でバリバリ活躍されている人をご紹介して、予期せぬ病気や事故で障害を負ってしまった方が、その人をロールモデルとして「自分にもできる!」と勇気の一歩を踏み出してもらいたいという意図のもとに行っています。
今回の田畑美智子さんは、民間の企業にお勤めになっている傍ら、WBUAPの会長を務め、さらに認定NPO法人『難民を助ける会(AAR Japan)』の理事にも就いておられ、まさに大活躍という働きをされている方ですが、今回は主にWBUAPの会長という立場で進めたいと思います。
では、田畑さんの障害についてお聞かせください。
田畑:私は角膜混濁(かくまくこんだく)と小眼球という視覚障害です。現在の視力は0.01程度、大きな文字なら読めるかなくらいで生まれてからあまり視力は変わっていません。一時、目の使い方が上手くなって少し良くなったかなと思ったのですが、弱視は目を酷使しますので年齢が上がると元に戻ってしまいました。
初瀬:東京生まれとお聞きしていますが、幼稚園の頃から筑波大付属盲学校(筑波大学付属視覚特別支援学校)に通われていたのですか。活動的なイメージの田畑さんですが、どんな子ども時代だったのでしょう。
田畑:私は幼稚園、小学、中学、高校と筑波大付属盲学校に通いました。
弱視クラスで小学校低学年の頃は病気がちのよく風邪をひくような子で、今の自分からは考えられないのですが、周囲とコミュニケーションを取るのが苦手でしたね。小さい頃は母親が買ってくれた英語の絵本を読むのが好きで、小学3、4年生頃になると国際的な仕事に就きたいと思うようになりました。
今ではなくなってしまいましたが、国際電話の交換手か会議通訳者になりたいとPTAの行事のときに答えたことがありました。
私の場合は地元に友達がいなくて盲学校に数人いる程度。そのうえコミュニケーションが得意じゃないから、おそらく外の広い世界に憧れを持っていたのだと思います。中学で英語に出合ったことが大きく私を変えてくれました。