田畑:女性ネットワークの日本代表として、それなりに実績ができて、語学が得意ということもあったので、WBUAPの理事のひとりとして運営に関わっていくようになりました。
途上国の場合は自国の組織運営で精いっぱいで、国際的な機関までは手が回らないという現状があるんです。会議に参加することだって自国の経費ですから財政面からも難しい。
自国の活動の熱心さと国際的な活動の熱心さに大きな差があるのはよくあることですし、両方できる人材はそう多くはありません。
そうした現状のなか、視覚障害の当事者であり、なおかつアジアとオセアニアとバランスよく関係を築けるんじゃないかということで、日本人である私が選ばれました。
初瀬:もともと田畑さんは外に目が向いていたから、国内のみならず、世界の視覚障害者の問題や別の角度からみた視覚障害者の問題点が気になっていたんでしょうね。
2012年の会長職就任には、アジア太平洋地域の人材不足や使命感などの背景がありそうですね。
会長に就任した2012から2016年の1期目は主にどのような仕事をされたのですか?
田畑:細かいことを挙げればきりがありませんが、主なものではデンマーク政府が能力開発のプロジェクトとして、対象国の盲人協会の組織強化などを行っていたので、その橋渡しをしたり、WBUは国連の経済社会理事会(国際連合の経済的、社会的、文化的、教育的及び保健的活動を担当)に繋がっているので、国連開発計画(UNDP)のアジア太平洋とパイプをつくりました。
初瀬:それって凄いじゃないですか。まさに国際的な活動ですね。
2016年で一期目が終わって、その後、再選を果たすわけですが、やはり使命感からでしょうか?
田畑:使命感なのかな? 引退する人たちがいたり、国連の仕事に戻ってしまうなど、ベテラン理事が何人か抜けてしまう状況なので私まで抜けてしまってよいのだろうか……。そんな思いから立ったことは確かです。
2020年までやったら終わりです。総会は4年に1度。オリンピックの年に行われます。
初瀬:2020年は自国開催のオリンピック・パラリンピックがあります。まるで図ったような流れなのですが、2020年までにアジア太平洋地域の会長としてなしておきたいことはありますか?
田畑:一番の願いは、アジア太平洋地域に視覚障害者でも自信を持って活躍できる人を増やすことです。アジアには視覚障害者の進学率が一ケタ台の国がたくさんありますので、その進学率を高めるような働き掛けをしたいですし、仕事でも活躍できる場を作りたいと思っています。周囲から冷たい目で見られたり、肩身の狭い思いをしている人をなくしたいと強く願っています。
また、アジア太平洋地域の会長としてではありませんが、国内の基盤作りというか、視覚障害者のネットワークを強くしたいと思っています。堅苦しい組織ではなく、みんなが協力してやっていけるような国際的な活動を行う組織を作りたいと思っています。
初瀬:最後になりますが田畑さんは、AAR Japan(認定NPO法人 難民を助ける会)の活動もされていますので、そちらにも少し触れたいと思います。
田畑:1979年に日本で生まれた国際NGOです。難民を助ける会の活動の柱の中に障害者支援があります。
難民を助ける会の大切なところは、障害に特化していない組織が障害者をサポートしていることです。障害分野の組織だけでは人もお金も限られてしまうので、普通の国際NGOが障害分野の支援を行うことに意義があると思っています。たとえば、地震やハリケーンなどの被災地支援の際に、現地に障害のある方がいるかもしれないじゃないですか。だから、障害者を救援対象として、少しずつでも障害のことを知り経験を積むことが必要なのです。
私はいま国際NGOの役に立ててとても嬉しく思っています。
初瀬:田畑さんが行っている活動はすべて子どもの頃の夢から繋がっているものです。興味を持ったことに一心に取り組んでここまで来られたことが伝わってきました。
障害のあるなしにかかわらず、人として大切なことを教わったような気がします。本日はありがとうございました。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。