2024年4月26日(金)

百年レストラン 「ひととき」より

2017年5月23日

昭和初期の旅館入り口。3代目・ヒサ子女史が博多から嫁いだ昭和10年の、ちょっと前くらいだろうか

料亭の専売特許だった卓袱に挑戦

 「坂本屋」は、料理に力を注ぎ続けた。寅一氏の娘で2代目のサダ女史は、それまで料亭でしか供されていなかった卓袱料理を、旅館として初めて出したという。味付けもよく、食事の美味い宿と好評を得た。

 やがて、戦争の時代を迎える。昭和20年(1945)8月9日、原子爆弾が投下されて長崎は壊滅状態に陥った。

 「でもこのあたりは、奇跡的に無事だったんです。戦後はすぐに営業を再開し、泊まりにいらっしゃる方には、自分で食べる分の配給米を持参してもらっていたそうです」

 人々の懸命な努力もあり長崎の復興は早く、昭和30年に市内で生まれた悦子さんは、街中に原爆の傷跡を見た記憶がないという。

 高度経済成長期を迎え、利用客も急増。食事の評判も一層高まっていった。そこで3代目・ヒサ子女史は、旅館業から料理店にも手を広げ、ランチ営業を開始。それまで宿泊客だけが味わってきた卓袱料理が、リーズナブルな価格で広く人々の口に入るようになり、その美味さが人づてに広まっていった。

大鍋で煮込まれる東坡煮。絶妙な柔らかさと味の染み込み具合は、板長・小淵稔さんの腕と経験によるもの

 数ある皿の中でとりわけ人気が高いのが、豚の角煮。中国は杭州の名物・東坡肉(トンポーロー)を、日本人の舌に合うように工夫したものだ。

 「向こうでは八角(はっかく)など香辛料を入れますが、うちでは入れません。作り方は、まず大きな皮付きの豚バラ肉の塊を寸胴(ずんどう)で2度湯がき、脂をしっかり落とします。これも日本人の方に合わせた調理法です。その肉をカットして丁寧に水で洗ってから鍋に入れ湯がき直した後に、酒、醤油、味醂、継ぎ足しの元ダレで4~5時間炊きます。火を止めて1晩寝かせまして、次の日にまた火を入れます」

 豚の角煮を土産にしたいという宿泊客、売ってくれと鍋を持参する市民が続出した。そこでヒサ子女史は持ち帰り用商品を作ろうと決意。3年の歳月をかけて真空パックの商品化に成功し、昭和50年(1975)、「東坡煮(とうばに)」という登録商標も取って売り出した。


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