2024年7月16日(火)

メイドインニッポン漫遊録 「ひととき」より

2017年5月8日

ちりめん街道(上)、舟屋で有名な伊根まで約15キロ程行ってみた(下)

丹後の海と伝統を愛するイケメン社長

 京都駅でさらに電車を乗り継いで約2時間。日本3景の天橋立にもほど近い、京都府北部丹後地域の与謝野町(よさのちょう)は、古くから丹後ちりめんの生産地として知られている。現在も和装用白生地織物の国内シェアの約6割を占めているが、近年は海外から安い生地が入ることと着物の需要の減少によって、最盛期の50分の1にまで落ち込んでしまっている。

 創業昭和11年(1936)。与謝野町で80年にわたって丹後ちりめんの白生地を製造販売していたクスカも状況は同じであった。いやはや失礼ながら、機織(はたおり)工場を併設した本社兼事務所はすぐ近くで秋には裏庭に柿の木が実を結び夏には蛍も舞うという、どこか懐かしい里山の民家のような佇まいであります。

織り組織や風合をチェックする母親の八千代さん。この道50年の丹後ちりめん職人

 「私が子どもの頃は、町を歩けば織機の音が聞こえてきました。祖父の時代には丹後全体で1年間に約1000万反織っていましたが、父の時代になると50万反を切っていました」

 そう語るのは、ワレワレを出迎えてくれた3代目社長の楠(くすのき)泰彦さん。のどかな丹後の里山の風景とはミスマッチな日に焼けた顔に白い歯が眩しい、ファッション誌のモデルになってもおかしくないイケメン社長である。 

お洒落に締めるコツはプレーンノット(結び目を小さくつくる結び方)で、結び目にティンプル(窪み)をつくること。「丹後ブルー」のネクタイをした楠社長のVゾーンがよいお手本だ

 中学高校は野球に明け暮れた泰彦さん。高校卒業後はサーフィンに魅せられて、その腕前は全国大会に出場するほど。東京の建設会社に勤めていたが、転機は29歳の時。帰省した際、自社の職人が1越1越丹後ちりめんを織っている姿を見て「日本人として、この技が途絶えてしまうのはもったいない。よし、僕がやってみよう!」と決意する。織物業が衰退していく中、両親の反対を押し切り稼業を継ぎ、糸から織り方まで、職人にみっちり3年かけて教わり、32歳で3代目社長に就任。代々受け継がれてきた屋号をブランド名にしてクスカを立ち上げた。

 「ものづくりのベースは自分が使いたいなと思うものです。そう考えたら、丹後ちりめんに一番合うのはネクタイなんですね。いいシルクでつくった上質なハンドメイドのネクタイは、結んだ時に〝きゅっ〟と鳴るんです」

 そう言って、ネクタイの結び目をきゅっと直す楠社長。お洒落なジャケットスタイルはクスカの着こなしのお手本にもなっている。


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