怒りの葡萄(Grape of Wrath)
5月5日(木)。アリゾナ州の西端の町Kingmanは人口2万人足らず。町の博物館に入ると1930年代の大恐慌時代に発生した砂嵐(Sand Bawl)による厄災の様子が展示されている。展示によると機械化された大規模な耕作により柔らかくなった大平原(great plain)の地表に強風が吹きつけることにより砂嵐が発生して広大な耕作地が砂漠化したという。年々発生する砂嵐によりオクラホマ州、アーカンソー州、テキサス州などで耕地を失った農民が難民化してルート66を辿って豊かな農地が広がる“約束の地”カリフォルニアを目指したようだ。
家財を満載した旧式フォードトラックが展示されている。スタインベックの名作『怒りの葡萄』の世界が当時の写真で再現されている。大恐慌で農産物価格が大暴落、そしてせっかく開墾した農地を失った大量の難民の悲痛な声が聞えてくるようだ。
20万人がカリフォルニアでの定住を夢見て移動したが移住を認められたのはわずかに8%であったという。最初に到着した難民たちは低賃金の農園労働者として受け容れられたがカリフォルニア州政府は続々と到着する大量の難民対策として州境管理を厳格化して移住を制限したのだ。
アメリカで繰り返される移民難民排斥の歴史
中東からの難民流入を制限するEUと同じ問題が1930年代、つまり80年前の米国にも起きていたのだ。ひるがえって考えてみるとカリフォルニアでは大陸横断鉄道建設やゴールドラッシュが一段落したあと大量流入する中国人移民(苦力)排斥運動が盛んになり、1880年代には中国人移民排斥法が成立している。さらには1924年には日本人移民も含めアジアからの移民を全面的に禁止する法律も成立。
米国経済は西部開拓時代以来世界からの移民難民を労働者として受け容れることで世界一の経済大国となり現在でも優秀な移民がIT産業など先端産業の発展を支えている。他方で移民難民の流入は白人労働者の既得権益を侵し繰り返し深刻な軋轢を生んできた歴史がある。トランプ氏の主張は正に“歴史は繰り返す”であろう。