音楽とともに育つ
自分のことを芸術家だと思ったことはない。先生と呼ばれるのは大嫌い。時々、関西弁が交じる。演奏会に行ってみようかなという気分にさせる。そんな柔軟さは、佐渡と音楽との関わり方から生じているのかもしれない。
佐渡と音楽との歴史は、誕生とほぼ同時に始まっている。声楽家を志していた母は、まだ1歳になったばかりの佐渡を膝に乗せて、毎日ドミソ、ドファラ、シレソの和音を繰り返し聴かせていたという。2歳になった時には音が聴き取れるようになり、ピアノのレッスンを開始。この音感教育は期せずして、指揮者の必須条件であるさまざまな音を聴き分ける耳のよさを培うことになった。家にはカラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のレコードがたくさんあって、6歳上の兄と一緒に聴いた。
その結果、佐渡は炬燵(こたつ)の上に乗って箸を動かして指揮の真似をしたり、小学生の頃から演奏会のチケットをねだり1人でも聴きに行く音楽好きの少年になっていた。そして小学校5年の時に、初めてお小遣いで自分のレコードを買った。
「当時、ステレオの針を置けるのは兄だけで、僕はレコードに触らせてもらえなかった。だからカラヤンとベルリン・フィルは兄貴のものという思いがあって、ちょうど大阪万博で日本に来たバーンスタインとニューヨーク・フィルのマーラー『交響曲第一番 巨人』を買ったんです。その頃、兄貴のほうはクラシックに嫌気がさして、自分では歌謡曲とかフォークのレコードを買ってましたけどね」
小学生の佐渡は、ピアノより縦笛に夢中になり、先生に勧められて京都市少年合唱団にも入っている。6年生の時にはフルートを始めた。
「先生にフルートを吹かせてもらったと母に話したら、何日か後には家にフルートがあった。うれしかったけど、中学に入ったらサッカー部と決めていたのに、母が吹奏楽部に入りなさいって。まんまと乗せられて吹奏楽部に入ったけど、関西大会とか全国大会とかには全く無縁でね。同じ中学生なのに他校は何で上手くて俺らは下手なのかと悩みながらも、楽しくて。1年生から3年生まで力の差のある者が一緒に合奏したことや、演奏者の側から指揮者を見ていた経験が、今とても役立っています」