2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2017年6月8日

ブエノスアイレスの美しき欺瞞

 10年後、ブエノスアイレスを訪れた。パリを模倣して作られた街は街路も広く、美しかった。都会の賑わいとネオンサインとは、筆者を歓喜させた。ショーウインドーを飾るきらびやかな商品、映画館、劇場、喫茶店、ナイトクラブ、レストラン。繁華街は六本木、赤坂よりも規模が大きく、新宿よりも格段と品があり、渋谷よりもまとまりがある。

 2、3日しか留まらない観光客や、5つ星のホテルに泊まり、政府関係者やビジネスマンと会う新聞記者、政治家、企業関係者などは「素晴らしい、肉もうまい、音楽もいい、女性も美しい、国の経済が悪いなんて嘘だろう」という印象しか残らないかもしれない。

 けれども、よほど鈍感でない限り一週間もすれば、この街の綻びに気付き始めるだろう。昼、街路で見る人間と夜歩いている人間は、まるで人種が違う。昼間のポルテーニョたちは、悲しげな目つきをし、災厄のただ中にあるかのようだった。金曜と土曜の夜のために仕事を2つ3つとかけ持って疲れ切っているのかもしれないし、インフレで目減りしてゆく給料と牛肉の値段が気にかかっていたのかもしれない。だが南米のパリに黄昏が迫れば、美男、美女たちは精一杯のおしゃれをして街へ繰り出した。

憎悪の不意打ち

 災厄に襲われたのは、1908年に建設されたブエノスアイレスの文化の象徴コロン劇場をどの角度からカメラの視野に収めようかとファインダーを覗いている時だった。赤い布を巻いた小型犬を散歩させていた40代らしいおばさんが突然近付いてきて、罵り始め、カメラに手を掛けた。広場のアスファルトに叩きつけるつもりらしい。慌ててカメラを抱えた。

 「私の犬の写真を写したわね。写真を写されると犬は死ぬのよ。そのフィルムを現像させるわけにはいかないわ」

 まさにとてつもない言い草だった。頭にはくるくる巻いた髪の毛をとめるカーラーをつけたままだ。筆者はカメラをバックに隠し、自らの正当性を表明しなければならなかった。

 「痩せた犬と髪の毛のくるくる巻いたおばさんの写真を誰も見たいとは思いませんよ」

 その言葉は、彼女の憎しみの炎に油を注ぐ結果となった。歯を剥き出しにして、ひどいアルゼンチン訛でチェを連発して一層激しく罵ってきた。こんなとき負けてはいけない。知っているかぎりの罵倒語で罵り返すことにした。

 筆者の勢いに恐れをなしたのか、彼女は「この洗濯屋が、あんたはひどい目にあうわよ」と捨てぜりふを残し、カメラを破壊せずに立ち去った(日系人は洗濯屋や花屋が多かった)。勝利したとはいえ、空しい。

 念のために言うが、これは筆者の個人的な体験というわけではない。その後、南米に何年か住む機会があった。空港やホテルや国境の税関で、大声をあげて理不尽なあるいはもっともな文句を言っているのは、十中八九アルゼンチン人、とりわけポルテーニョと決まっていた。友人たちは「チェ」だよ「チェ」と眉をひそめた。隣国のパラグアイなどではグアラニー族との白人の混血(メスティソ)に対するアルゼンチンの態度はまさに、植民者のそれであった。


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