サッカーは憎しみの祭典だった
アルゼンチン人の他者に対する何万という憎しみが集まり、沸騰し、燃え上がり、そのことが大ぴらに許される場所がある。 それは世界一、二の力量を持つ国技を見ることのできるサッカー場である。
筆者が観戦したのは、コーパ・リベルタドール、つまりトヨタカップのアルゼンチン国内の最終戦、サンロレンソ対レーシングの試合だった。前回のアウエイの試合で負けたレーシングは、2点差以上で勝たねばならない試合だった。
スタジアムは超満員、入口は長蛇の列で、会場整理の警官は手際が悪く、「警察も民営化しやがれ」という罵声を浴びせられていた。筆者は友人とともにゴール裏のレーシングのサポーター席に入った。
そこは全て立ち見だった。サポーターたちはすでに球団歌を大合唱し、球場は激しく揺れ動いていた。球場と客席の間には、猛獣を囲む金網があり、ひどく見にくかった。私たちは失敗したことに気付き、切符を買いなおそうとしたが、無駄なことで、あっちこっちの入口をうろうろして、球場内の私服の警官にナップサックの中身を何度も調べられた。しかもナップサックの色は赤とブルー。相手のサンロレンソのユニフォームの配色と同じだった。それを見て一人のおばさんが言った。
「あんたスパイじゃないだろうね。もしスパイだったら承知しないよ。生きて帰れないからね」
それは冗談ではなさそうだった。友人が言った。
「こりゃ負けたら偉いことになるな。おまえら日本人のせいだって殴られるかもしれない」
私たちは用心のために出口付近のコーナーに立って観戦することにした。
試合開始の笛と共に、サポーターは何万枚もの色とりどりの紙吹雪を空にばらまいた。 美しい憎しみが空を満たした。
試合は荒れに荒れた。レーシングは前半に2名の退場者を出した。彼らは11人対9人で試合を行い、しかも物凄い気迫とスピードで1対0とリードし、後半は両チームとも1名ずつの退場者を出し、10人対8人の試合、いや殴り合い、削り合い、肉団戦となった。
スタジアムは「殺せ!」、「イホ・デ・プータ(淫売の息子)!」という罵倒言葉の大合唱に揺れ動いた。相手の選手が、コーナーキックを行うときは、届くわけもないのに隣にいた野獣のような男は、物凄い形相で罵声と共に唾を吐きかけ、その唾は、筆者の頭の上に降り注いだのであった。
こうして私は日本のサッカーとアルゼンチンのサッカーは全く別物であることを知った。それにしても彼らアルゼンチン人の他者に対する異常な憎悪や敵意はどこから来るのだろうか? その謎を解くカギはアルゼンチンを象徴する焼肉、タンゴ(芸術)、そして国の出自にあった。
⇒(続く)
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