浜野 読者のために、内田さんのことを少し。
原 ええ。2003年ですから、『河童』の可能性がまだ微妙な時期でしたけど、サンライズの内田健二さんという、今は社長ですが、当時まだ常務だった方が、シンエイ動画というアニメ・プロダクションにいた僕に、人を介してコンタクトをとってきた。
それ以前に全く面識なかったんですけれど、会いたいという話で。
仕事の話かなと思ったんですが、「サンライズ」って聞いたとき、やっぱりメカか、SFかなっていう気がしていた。
浜野 サンライズといえばバンダイの関係会社で、『機動戦士ガンダム』のアニメをつくり続けているとこだから。
『ガンダム』みたいのなら、つくれないと思った
原 うん。どうせ俺にはあそこの仕事はできないだろうと思いながらも、外の人から声をかけてもらえるというのは、そんなに悪い気はしなかった。
でも会いに行って、どのみち、「ちょっと難しいですね」って話になるなと思ってたんですよ。そしたら、内田さんが、いきなり理論社版の『カラフル』を出して、「これ、知ってる?」って言って。「実は、これを君につくってもらいたいんだよね」って。
「いや、読んだことないです」って言った。
その時もう、次の作品それ自体を内田さんからもらっちゃった形でした。
こっちは、どうせメカっぽいものを言われるんじゃないかと思って、「えー、こういうのは僕はちょっと」ていう断り文句を準備してたんだけど、サンライズの人がいきなり活字の本を出してきたんで、ちょっと面食らったんですね。それまでにも、たまに「一度食事でも……」なんて誘われて、外部の人と会うことはあったんですけど、飲み食いするだけで、あまり具体的な話にはならないことが多かった。でも、内田さんは最初から率直だった。会った場所もファミレスで、「まぁまぁ、ひとつよろしく……」なんてのも無し。いきなり、気持ちのいいパンチをもらった気分だった。
ともかく、『カラフル』を渡されて、「それじゃあ読んでみて、もう1回連絡します」って返事した。
で、読んだら面白かったんで、これは俺、できるなと思ったんですよね。内田さんにもその通り伝えたんですけど、僕はその頃シンエイ動画に籍がある「社員演出(家)」だったんで、他社の仕事ができるだろうかって問題もあるし、「今、実は『河童』という長年温めてた企画ができるかどうかわからない時期で、できることになったら、それを先にやりたい」という話をしました。「もしその後でもよかったら、やらせてください」っていう話をした。そこから内田さんとの付き合いがはじまって…。
浜野 どんな付き合いでした?
原 内田さんと会うようになってから知ったんだけど、内田さんは僕にしたみたいなことを、いつも当たり前にやってるらしいんですよ。一面識もない人に、「あいつにこれ、つくらせてみたらいいんじゃないか」って思うと、いきなり会いに行ったりするような人らしいんです。
それはともかく、最初に会ったときから、内田さんは面白い人だなと思ったんですよ。あ、この人と酒飲みたいなと思って――僕は滅多に、初対面の人にそんなこと思わないんですけど――、「今度、どっかでメシでもどうですか」とか言ったら、「おお、いいよ」って言ってくれた。