2024年4月18日(木)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年7月28日

 たまたま2人の職場と自宅が、同じ西武新宿線沿いだったことも手伝って、「どう、今日、帰りがけにちょっと行かない?」みたいなことを、しょっちゅうやるようになったんです。

 といって別に『カラフル』をどうするか、みたいな話は全然しなくて、ただ楽しく、映画の話とか、本の話とか、いろんな話を面白くして、普通に飲み仲間みたいになっていったんですけどね。誘われて、内田さんの家へ遊びに行ったこともありました。

浜野 書籍で言えば編集者に当たる仕事だと思うけど、この人と仕事をしてみたいと思ったら、編集者にしろ、内田さんのような、映画ではプロデューサーって言われる人にしろ、とことん話す。相手を全人的に理解しようとする、というか。またそれが仕事の一つだから。

あるプロデューサーとの出会いがなかったら

 そうかもしれない。僕は、プロデューサーっていうのはこういう人なんだって思った、ほんとに。つくづく、内田さんに会って、「ああ、これがプロデューサーなんだ」って。

 変な言い方ですけど、僕はこの人に、未だに興味が尽きません。内田さん自身、好奇心がとても旺盛な人ですし。内田さんは『カラフル』を書いた森絵都さんの本はみな好きだとかで、全部読んだと言ってました。若い頃は昆虫採集に夢中になって、山の中で幾晩も野宿したんだとか、いろんな抽斗(ひきだし)を持ってる人です。

 ともかく僕が『河童』でフウフウ言っている間、内田さんは待っててくれて、終わったらすぐ、「ああ、お疲れさん、終わったね。それじゃあやろうか」って話でした。

 それまで、僕は内田さんのことをいつのまにかただの飲み仲間みたいに思っていたんで、ああ、これからこの人と仕事するのか、って、ちょっと変な気分になったの、覚えてますね。

 『河童』はできるかどうか、微妙な時期をくぐってるんですけど、もし本当に『河童』がポシャっちゃったら、もう会社(シンエイ動画)やめて、内田さんのとこに「『カラフル』やらせてください」って言いに行こうなんて、思ったりしたこともありました。

 でも『河童』をつくれることになって、『カラフル』は4年ぐらい、預からせてもらった格好になってしまって。

浜野 そんなに長い間、ほかの企画へ興味が移るっていうことはなかった?

 ああ、なかったですね。僕には、内田さんとの出会いがとにかく、ものすごく大きくて、『カラフル』にとっても、その出会いが大きい。内田さんの期待だけは裏切りたくないなというのが、最低限、あった。

浜野 その内田さんは、試写を見て何と?

 喜んでくれましたね、「良かった」って言って。まあ、サンライズ「らしく」ない作品だと思うんですよね、実際。そこら辺り、どう受け止めてくれるかなと心配でしたけど、喜んでくれたみたいです。

浜野 サンライズという会社は、アニメーション制作会社の老舗で、ロボットものを収益の柱としていて、そこを譲らなかった。テレビアニメーションは収益の柱で、経営を維持するためには大事です。だけど、テレビで稼いで、映画で名やわざを残すっていうのが、アニメーション業界の本道だから。それから経営者として、社員の士気を高めたり、アニメーターが腕を存分に振るえる場をつくるためにも、劇場映画で挑戦する機会をつくっておくことを、内田さんも頭に置いていたと思います。

 その内田さんがサンライズの代名詞の『ガンダム』以外で何かしようってとき、常日頃作品に注目していた原監督とやりたかったということなんでしょう。でも内田さんも、心配だったと思う。

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