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夏木マリ(プレイヤー)
2017/03/28 吉永みち子強く、芯のある姿勢で輝き続ける夏木マリだが、歩んできた芸能人生は順風ではなかった。求められ応えつづける日々に自身の軸を見失い、もがいた末に手ずから掴み取ったのが舞台「印象派」。企画・音楽・演出までプロデュースし、作り上げた作品でさらなる段…
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鮮魚店「根津松本」主人
2017/02/24 吉永みち子「超高値」の魚ではなく、最高級の味を売る。鮮魚小売業で、選び抜いた「一の線」を並べるオンリーワンの鮮魚店へと疾走し続ける「根津松本」。
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輿水精一(ブレンダー)
2017/01/20 吉永みち子ウイスキーのブレンダーに求められるのは、狂いのない味覚・嗅覚。銘酒「響17年」を生み出したブレンダーは、想像以上の節制を自らに課し職務をこなしていた――。
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東京ハイジ(姉妹クリエーター)
2016/12/20 吉永みち子Youtubeの総再生数が1億回を突破した「しつけアニメ」。それを作ったのは、姉が音楽、妹が絵を担当するユニット。性格も違う2人は、互いの世界をどう融合させたのか。
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山口千尋(靴職人)
2016/11/21 吉永みち子その革靴は最上の履き心地で、長時間履き続けられる。靴を作り出す男は本場・英国で名工と認められ、日本の手製靴業界を再建し、そして技術を高め続けている。
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三島有紀子(映画監督)
2016/10/20 吉永みち子4歳で映画を初めて観た少女は、いつしか映画監督を志し始めた。ドキュメンタリー制作を経て飛び込んだ劇映画の世界で、あふれ出る創作意欲を糧に生命を撮り続ける。
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石村由起子(「くるみの木」「秋篠の森」主宰)
2016/09/20 吉永みち子30年以上前、カフェと雑貨を結びつけた店が奈良にオープンした。それはある主婦の突破力の結果。そしてそこは、今や大きな組織となり地域発信の場になっている。
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勅使川原三郎(ダンサー、振付家)
2016/08/19 吉永みち子美術、照明、衣装、音楽構成まで手がけるマルチダンサー。自らを素材に、空間の質を変えるダンスは、「表現しなければ生きていけない」に対しての答えだった。
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天童荒太(作家)
2016/07/20 吉永みち子登場人物の痛みを感じるため、壮絶な執筆を行う小説家・天童荒太。その小説は文面から目をそらすことを許さない力を放つ。その彼が今、「震災」を取り上げた。
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別所哲也(俳優)
2016/06/20 吉永みち子彼には俳優の他にもさまざまな顔がある。短編専門の映画館の運営に、映画祭の代表もそのひとつだ。インプットを重ねてに突破する力の源は、果たして何なのだろうか。
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多田鐸介(フードコンサルタント)
2016/05/20 吉永みち子シェフとして、その経歴は華やかだったが、心は常に「提供する楽しさ」に飢えていた。そんな時に出会ったのが、医療・福祉現場での食のコンサルティングだった。
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佐藤正樹(「佐藤繊維」社長)
2016/04/20 吉永みち子オバマ大統領のノーベル賞授与式で、ミシェル夫人が着ていたニット・スーツ。使われた糸は、山形県で衰退産業の逆風に立ち向かった男の信念から生まれていた。
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多湖弘明(鳶職人)
2016/03/18 吉永みち子鳶職人って高い所で何してるの? その仕事を知ってもらうため、情報発信するひとりの鳶がいる。命がけの現場と試練をくぐった彼の言葉には、重い価値がある。
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宮田章司(江戸売り声)
2016/02/19 吉永みち子「物売りの売り声」-誰も踏み入らなかった分野を芸に仕立て上げるまでの道のり。それは、幼いころの暮らしと、自分に正直生きてきた結果だった。
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2016/01/31 吉永みち子
本場ブロードウェーで東洋人初のミュージカルを演出。オーストリアでは「魔笛」のヨーロッパ初オペラ演出したが、一瞬、逃げ出したくなった。
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村治佳織(ギタリスト)
2016/01/20 吉永みち子15歳でデビュー後、クラッシックギター界のトップとして活躍していた中での突然の病気・活動休止。しかしその時間は新たな境地へと繋がった。
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鈴木健次郎 (テーラー)
2015/12/04 吉永みち子「どんな体型の人も美しく見せられる」と言い切る裏には、本場パリで死に物狂い以上の努力で得た高度な技術があった。
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石垣幸二(沼津港深海水族館館長)
2015/11/03 吉永みち子「深海」と「シーラカンス」がテーマの、世界のどこにもない水族館をオープン。短期間で人気施設に育て上げたキーマンとはどんな人物なのか。
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小山進(パティシエ)
2015/10/04 吉永みち子なぜ、将来の夢が広がっていた小山が、高校2年の冬、それまでの希望の職業リストになかったケーキ職人になると突如決めたのか。
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木村英輝(絵師)
2015/08/28 吉永みち子ロックプロデューサーとして30年間活躍したが、60歳を目前にして絵を描きたいという気持ちが湧き上がってきた。
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