さておき、ディテールを見てみましょう。髪形は当時流行の「燈籠鬢(とうろうびん)」。庭の燈籠の形に似せて鬢をピーンと張り、髷(まげ)は流行の志(し)の字(じ)髷を結っています。現代のようにスプレーもムースもなかった時代に、その美しい燈籠形のシェイプをどうやって作り保持したのでしょう。よく見てみると、豊かな髪を透かして鬢の右(③)と左(④)に「鬢差(びんさ)し」の先端がわずかに描かれています。鬢差しとは、鬢を弓形に張るために鯨のひげや柘植(つげ)などを薄くバネのようにして、髪に通して支えたものです。
さらに髪の生え際を拡大すると、髪の黒い線の間になんと淡いグレーの線が描かれているではありませんか(⑤)。この生え際の濃淡は、2枚の色版を重ねていることを示します。まず彫り師さんが、1ミリの間に3本ともいわれる細い筋を版木(はんぎ)に彫ります。当然、版は凸版に彫り残します。次に摺り師さんが、その版木を、色を変えて2回、わずかばかりずらして摺るのです。歌麿さんの浮世絵版画の柔らかさは、これらの職人さんの神業がつくりだしたものだったというわけですね。
そしてこのお着物。当時大流行の有松絞り(※2)の襦袢(じゅばん)を襟元にみせて、小袖の模様は「千鳥あられ」(⑥)。ここに描かれた千鳥クンたち32羽は、お顔がみな違います。当然です、彫り師さんが彫っているのですから。歌麿さんは「ン~と、こんな感じで、あとはよろしく」と指示するだけで描きません。物思いにふける彼女の指先の愛らしさは、さすが天下の歌麿師匠、見事な墨線です(⑦)。
浮世絵版画の制作は、版元さん、絵師さんに彫り師さん、摺り師さんからなるチームワークの作業です。歌麿さんのこの作品は、版元の蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)さん、通称「ツタジュウ」さん率いる、世界に誇るお江戸のスーパー職人チームのお仕事でした。
※2 江戸時代の初め頃、尾張藩の特産品として、有松(現名古屋市緑区)で、竹田庄九郎を開祖に誕生。技法の豊富さ、多彩さで知られ、有松には往年の繁栄を伝える街並みが今も残る
【牧野健太郎】ボストン美術館と共同制作した浮世絵デジタル化プロジェクト(特別協賛/第一興商)の日本側責任者。公益社団法人日本ユネスコ協会連盟評議委員・NHKプロモーション プロデューサー。浅草「アミューズミュージアム」にてお江戸にタイムスリップするような「浮世絵ナイト」が好評。
【近藤俊子】編集者。元婦人画報社にて男性ファッション誌『メンズクラブ』、女性誌『婦人画報』の編集に携わる。現在は、雑誌、単行本、PRリリースなどにおいて、主にライフスタイル、カルチャーの分野に関わる。
米国の大富豪スポルディング兄弟は、1921年にボストン美術館に約6,500点の浮世絵コレクションを寄贈した。「脆弱で繊細な色彩」を守るため、「一般公開をしない」という条件の下、約1世紀もの間、展示はもちろん、ほとんど人目に触れることも、美術館外に出ることもなく保存。色調の鮮やかさが今も保たれ、「浮世絵の正倉院」ともいわれている。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。