画家の描く風景画にも似た山容と家並がつづく、
どこか懐かしくて、夢のような小さな町には、美術館らしくない美術館が、
昔からずっとそこにあるようにどっしりと構えていました──。
津和野というところは、安野光雅美術館が出来たという何かの記事で、その水彩画の風景とともに頭に焼きついた。
ずいぶん空気のいいところのようだけど、交通の便からなかなか行きにくい。だから空気もいいのだろうけど、と思いながら何年かたった。
新幹線の新山口駅から、さらに山口線というのが延びて、その先に津和野の駅があった。イメージでは田園と山野だけしかなかったが、来てみると城下町で、とても静かに落着いている。
美術館は駅のすぐ近くにあった。建物は和風の、外観は酒蔵みたいな、中は昔の学校のような感じのものだ。このたたずまいには、画家本人の意向が強く反映されている。はじめにその話があったとき、安野さんは自分の名を冠した美術館は……、と乗り気ではなかったそうだ。でも年月がたち、郷土の人々や町の要望も強くあり、それならあまり派手にしないで、いわゆる美術館らしくない美術館を、ということで応じることになった。
このいきさつからは、安野さんの人柄が浮かび上る。たまに見かける写真はどれもざっくばらんな普段着で、美術館もその感じだ。
安野さんの画家としての仕事は、かなりゆっくりだ。画家といってしまっていいのかどうか、仕事ではデザイナー、イラストレーター、絵本作家、しかも日本文学全集の編纂者としても知られる。
安野さんは小学校の先生を長く勤めていた。その前に終戦の年の4月、陸軍船舶兵として召集され、終戦後の9月に復員している。戦中派のぎりぎり最後の世代に入る。絵の方は小、中学校のころから毎日描いていて、教員時代には個展も開いている。
でも私たちが安野さんを知るのは、やはり出版の世界での仕事だ。40歳を過ぎてから出版社の誘いがあり、はじめて出したのが『ふしぎなえ』という絵本だ。それまでにも本の装丁やいろいろしていたが、この1冊を皮切りに安野さん独自の絵本の世界が始まる。