ここに載せた「衆民危急」には「お上の暗黒政治をよそに、洛陽城下のかまどからは煙がたちのぼり、……」との一文が付けてある。いまの成都市内の清代の家並を参考に描いたそうだが、この様々な屋根の並びが何とも気持いい。人それぞれ勝手に家を建てるから、屋根の向きも広さも不揃いなのだが、そのランダムな連なりに自ずから生れるリズムが何ともいえない。美は乱調にあり、というが、それは計らずも出来てしまうもので、画家の目がそれを慌てずに掬い上げる。はじめにイタズラ心として潜んでいた力が、ここではその乱調の美を描きとめる役を担っているような気がしてならない。
美術館は展示室が終っても学校の廊下みたいにつづき、じっさいに昔の学校の教室が再現されているので嬉しくなった。黒板があり、学童机が並び、後ろの板壁には張り出された習字が並ぶ。朱筆が入っていたりして、それも全部安野さんの手になるものだ。
さらにはプラネタリウムもあった。そこでは星空が映されるだけでなく、絵を描く気持や、芸術と科学との関係、津和野の思い出などが、安野さん自身の声で語られる。他の美術館には見られない趣向である。
町を少し歩いた。昔ながらの家並がよく残されていて、中心にある大きな屋敷前の道筋には長い堀が伸びて、堀には鯉が泳ぎ、菖蒲の花が満開で、夢のようだ。背景には安野さんの風景画で見る丸っこい山並が目に入る。ここまで来るのはたしかに遠いが、遠いからこそのご利益が町に満ちている。
(写真:川上尚見)
【津和野町立安野光雅美術館】
〈住〉 】 島根県鹿足郡津和野町後田イ60-1 〈電〉0856(72)4155
http://www.town.tsuwano.lg.jp/anbi/anbi.html
2001年、安野光雅氏の誕生日である3月20日に開館。津和野町は安野氏の生まれ故郷で、小学校時代までをこの地で過ごした。「昔からそこにあったような、津和野の町にとけこむような建物に」という安野氏の思いと構想のもと建設。美術館は展示棟と学習棟から成り、展示棟にはロビーと2つの展示室が、学習棟には昔懐かしい木造の教室、図書室、プラネタリウムが設置され、またその2階にはアトリエが再現されている。毎年3月20日の開館記念日には親しい人物をゲストに招き、トークショーを開催する。
〈開〉 9時~17時 *入館は16時45分まで
〈休〉 3月、6月、9月、12月の第2木曜、12月29日~31日
〈料〉 一般800円 *プラネタリウム観覧料含む
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