安野さんの絵は、常に全体に気を配りながら、その裏側にはいつもイタズラ心が潜んでいる。
最初の『ふしぎなえ』では、そのイタズラ心が表に立って、絵をさまざまに展開していく。しばらくはそれがつづき、しかし絵本を重ねるごとに、イタズラ心が細かく分かれて、絵の中に染み込んでいくように感じる。『ふしぎなえ』から約10年後に出した『もりのえほん』では、その細分化されたイタズラ心が森の絵の隅々に紛れ込み、木や葉っぱや草などとからみついて、絵としての描写の中に染み込んでいく。形としては植物の絵の中に鳥や熊やリスや狸が紛れ込んだ騙し絵なのだけど、それぞれが騙す役割を忘れるくらいに、見事に植物の描写そのものとなって溶け込んでいるのだ。
大河ドラマ的な大作絵本がはじまると、イタズラ心は細部の観察に転化していくように見える。もともと遠景の絵が多いのだけど、『繪本平家物語』などの大河ドラマ的なものになると、ますます俯瞰図的な風景画となっていく。山あり、川あり、海ありの雄大な自然の中に、人間は無数の蟻のように散らばるわけで、その蟻の一つ一つが、それぞれ役割を持って動く様子がこまごまと、しかも飽くことなく描かれている。その顕微鏡的な目の中に、身を移しおえたイタズラ心がしっかり生きているのだ。
これだけ細かく描いていながらぜんぜんしつっこくないのは、画家と絵との距離感だろう。常に絵の全体を見渡しながら、これ以上近づかないという境界線で、しっかりと踏み止っている。これは画家が持つデザイナー的要素の賜物だろう。
大河絵本はさらに『三國志』へとつづく。会場には安野さんの歴史をたどりながら、代表的な絵本の原画が展示されている。そのいちばん新しいのが『繪本 三國志』で、ここまでくると、絵本のための原画というより、絵画作品としてのオリジナリティが強い。
描く前に現地中国を長い時間かけて取材して、その時に中国製の未晒〔みさら〕しの絹本〔けんぽん〕を購入し、筆や墨や岩絵具も現地のものを使って絵を描き上げている。しかも絵には何種類もの落款印が捺され、これも中国の有名な篆刻家〔てんこくか〕に彫り上げてもらったものだ。