東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月16日

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浜野保樹 (はまの・やすき)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授

1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『大系 黒澤明』(講談社)『偽りの民主主義』(角川書店)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。(財)黒澤明文化振興財団理事、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

 パリのシドニー・ベシェが作った素晴らしい曲は、こうして回り回って、日本でピーナッツの歌になったという遍歴です。あれはピーナッツ、デビュー初期の大ヒットだね。

 「かわいい花」で当たったんで、渡辺晋さんは次も花で行こう、と。それが「情熱の花」です。元の曲は「エリーゼのために」ですね。

浜野 はああ。

石坂 あの頃は、アイデア次第でどんどん当たって、気持ちよかっただろうなあ。

 水原弘の大ヒット「黒い花びら」はそれじゃなんだっていうと、1959年、レコード大賞第1回受賞作だけど、あのとき水原弘はレコード大賞新人賞も取っていて、ダブル受賞というのはいまだに不滅の記録です。

 この「黒い花びら」は、次に「黒いシリーズ」になります。「黒い落ち葉」「黒い貝殻」。

浜野 そしてこの対談の冒頭あたりでお話しくださった、1963年初めごろの、ビートルズとの出会いになるわけなんですけど、大学に入ったころはもう音楽で食って行こうと思われてた?

石坂 いえいえ。

 大学3年で、会社訪問をし始めて、IBMとか、当時のことなので東レ、帝人、そういう大会社回りますと、うーん、こういう会社もいいのかもなあ、って。

 でも最後、自分で基準を立てまして、まず、国際的な仕事をする会社がいい。自分の得意分野を生かせる企業。そして、多分出世できる企業。鶏口たるとも牛後となる勿れ、で。

 それで、東芝か、ソニーがいいかな、って。ソニー、東京通信工業から社名を変えたばかりでしたが。

 ただ、東芝の、ビートルズのディレクターととても仲良くしてましたんで、じゃあやっぱりビートルズやってる東芝音楽工業かな、と。

浜野 素人の学生が、そういう方とどうやって知り合ったんですか。

石坂 そのころは、どこの会社でも、ガードマンがいるわけでも、セキュリティが厳しいわけでもないから、ビートルズ好きなんで、聞かせてください、って。そうやって入っていったっていう、ただそれだけ。

実はバンドをやってました。指から血を出しながら

浜野 これだけ伺うと、石坂さん自身のバンド活動もやっぱり聞きたい。どんなだったんですか。

石坂 成功を味わったけど挫折も味わったんで、あんまり積極的には話さない(笑)ことにしてんですがね。

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