パリのシドニー・ベシェが作った素晴らしい曲は、こうして回り回って、日本でピーナッツの歌になったという遍歴です。あれはピーナッツ、デビュー初期の大ヒットだね。
「かわいい花」で当たったんで、渡辺晋さんは次も花で行こう、と。それが「情熱の花」です。元の曲は「エリーゼのために」ですね。
浜野 はああ。
石坂 あの頃は、アイデア次第でどんどん当たって、気持ちよかっただろうなあ。
水原弘の大ヒット「黒い花びら」はそれじゃなんだっていうと、1959年、レコード大賞第1回受賞作だけど、あのとき水原弘はレコード大賞新人賞も取っていて、ダブル受賞というのはいまだに不滅の記録です。
この「黒い花びら」は、次に「黒いシリーズ」になります。「黒い落ち葉」「黒い貝殻」。
浜野 そしてこの対談の冒頭あたりでお話しくださった、1963年初めごろの、ビートルズとの出会いになるわけなんですけど、大学に入ったころはもう音楽で食って行こうと思われてた?
石坂 いえいえ。
大学3年で、会社訪問をし始めて、IBMとか、当時のことなので東レ、帝人、そういう大会社回りますと、うーん、こういう会社もいいのかもなあ、って。
でも最後、自分で基準を立てまして、まず、国際的な仕事をする会社がいい。自分の得意分野を生かせる企業。そして、多分出世できる企業。鶏口たるとも牛後となる勿れ、で。
それで、東芝か、ソニーがいいかな、って。ソニー、東京通信工業から社名を変えたばかりでしたが。
ただ、東芝の、ビートルズのディレクターととても仲良くしてましたんで、じゃあやっぱりビートルズやってる東芝音楽工業かな、と。
浜野 素人の学生が、そういう方とどうやって知り合ったんですか。
石坂 そのころは、どこの会社でも、ガードマンがいるわけでも、セキュリティが厳しいわけでもないから、ビートルズ好きなんで、聞かせてください、って。そうやって入っていったっていう、ただそれだけ。
実はバンドをやってました。指から血を出しながら
浜野 これだけ伺うと、石坂さん自身のバンド活動もやっぱり聞きたい。どんなだったんですか。
石坂 成功を味わったけど挫折も味わったんで、あんまり積極的には話さない(笑)ことにしてんですがね。