石坂 とてつもなくセンスのいい泥棒(笑)だね、そいつは。
当時、ギブソン、フェンダーを買えない人は、イタリアン・エコーっていうのを崇めてたんですよ。エコーという綴りは、EKO。なんとなくイタリア製というと、格落ちの感じでしたがね。
そのあと国産でいいのができて、ヤマハのギターはポール・マッカートニーも随分使うようになったりするんですが、当時はね。
大変ですよ、ドラムセットもシンバルはジルジャン(Zildjian)でなきゃってことになってたから、持ってなかったりすると「どうしたのよ、君たち」なんて言われる。お古を買ってくるんだけどね。
なぜ歌う、自分の3メートル四方のことばかり
浜野 無事、石坂さんの人生がひとめぐりつながりましたが、いまはレコード業界の束ね役をやっておられる。
業界に強い逆風が吹いてますから、東芝音楽工業に入られたころとは様変わりですね。
ここらで、日本レコード協会会長としてのお話を。音楽産業の将来をどう展望されるか。CDは世界中どこでも売れなくなっていますが。
石坂 わたしは業界で言うA&R(Artist and Repertoire)の出身、つまりアーティストを見つけて契約して、楽曲つくって送り出してっていう仕事をしてきた人間ですから、その立場で言うと、やっぱり最初に言うべきは、対価を払ってでも聞きたくなる、もっといい作品を、ってことです。
それを言ったら、いまの人たちは、自分だっていいのをつくってる。こんなに頑張ってるって言うかもしれない。
一方、こんな話があります。テレビ局で、30年間の名曲特集みたいな番組をやると、よく出てくるのは大体において1980年代、90年代の曲です。
対象が中高年だと、60年代、70年代。
アダモの「雪が降る」は、どう時代が変わってもいい。「伊勢佐木町ブルース」も。いまの人が聞いてもいいっていう、いい曲はある。
浜野 それ以後は名曲が出にくくなったんですか。
石坂 それをいま、言おうとしたんだけどね。
うーん、そうだな、映画「タイタニック」の主題歌、あのセリーヌ・ディオンが歌った。あれ以後のアメリカは、世界の歌謡曲工場であることをやめちゃった。
みんなが歌える歌を、提供していないでしょう。アメリカの歌って今、ローカル・ヒットばっかりですよ、アメリカだけの。