東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月16日

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浜野保樹 (はまの・やすき)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授

1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『大系 黒澤明』(講談社)『偽りの民主主義』(角川書店)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。(財)黒澤明文化振興財団理事、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

浜野保樹教授

 音楽的転換が日本で出るのは、グループ・サウンズの登場まで待たないといけなかった。歌謡曲、ムード歌謡、演歌、洋楽、っていうジャンルしかないところに、自分で楽器もって歌うグループ・サウンズが出たときは、それは新鮮だったからね。

 ともかくイギリスでは、アンダーグランドが黒人音楽なり、ブルースを取り入れて、やがてビートルズを準備する。そしてビートルズが出てきたときには、芸能界ポップスを駆逐しちゃったよね。

 ビートルズであり、ローリング・ストーンズであり、アニマルズ、です。

 日本では、フジテレビ「ザ・ヒットパレード(1959年~70年)」が強力歌番組として出てきて、ミッキー・カーティス、芳村真理の司会でしたね、初期は。

 これで日本は、カヴァーものを含めたポップ歌謡の世界に一気に入っていく。ポップ歌謡がメジャーになってく。

 伴奏はスマイリー小原(1921-1984)とスカイライナーズですよ。なんともすごい顔したスマイリー小原さんがこう、腕を振ってね。カッコよくって。そんなふうにショーアップしちゃったんですね、日本じゃ。テレビ演出のせいで、イギリスよりも大衆化、都会化するんだ。

 言葉を変えて言うと、音楽の発展そのものではなくて、メディアの発展、そして渡辺プロダクションの発展になったわけ、ね。

ザ・ピーナッツの歌はこうして生まれた

浜野 ひとつお尋ねしただけで石坂さんからは百科全書的なお話がだーっと出てくるんですが、石坂さんはやはりロックで、ジャズには行かなかったんですか。さっき、フランスはロカビリーについていかなかったと仰ったけど、ジャズは欧州で独自の発展を遂げてますよね。

石坂 いえジャズも、例えばチェット・ベイカー(1929-1988)の暗くてクールなボーカル。聞きました。

 いま言われるとおり、ジャズはフランスに入りましたね。『死刑台のエレベーター』、ルイ・マル監督作品。あの映画が確か、マイルス・デイビス(1926-1991)だよね、音楽は。

 当時、黒人の名トランぺッターで、シドニー・ベシェ(Sidney Bechet 1987-1959)というのが、アメリカより自由だと思ったのかな、フランスに「亡命」してた。

 ある名曲を残して、死ぬんです。楽曲だけで詞のない曲ですね。「プチ・フルール(小さな花)」っていう。

 これをイギリスの、クリス・バーバー楽団が取り上げた。そしたらそれが大西洋を越えて、アメリカが面白がってかけた。

 渡辺晋(1927-1987)さんが、それを聞く。でとうとう日本へ入って、ザ・ピーナッツの歌になります。「かわいい花」ですよ。

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