当時の大学生は、割とフォークソングをやってました。僕らは、アコギ(アコースティック・ギター)じゃなくて、エレキの、ブリティッシュ・ロックをやったんですよ。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、といったところ。
そこそこうまくはなっていたんだけど、そのころゴールデン・カップスの前身であるモジョ・メンとやったら、圧倒されたんだね。
コンテストで勝って喜んだことがあったなんていっても、やっぱ俺たち、コピーばっかりだよな、って。アドリブなんて、どうやってやるんだい、なんて思っているときに、さらにクリームを聴いた。
わたし、ベースやってたんだけど、クリームのベーシスト、ジャック・ブルース聴いて、これは、中途半端にやってても到底追いつかないや、と。
そんなある日、スウィング・ウエストのバンドリーダーが、というのは堀威夫さんで、後のホリプロ社長ですけど、「オイ、君たち、やめな、こんな下手なの。親御さんが悲しむだろ」て。
みんなして軽いショックを受けて、暗くなって、それから1週間後ぐらいかな、「も、やめようぜ」(笑)。
浜野 けど、石坂さんの頃、楽器ってどんなだったんですか。売ってたんですか、日本製のベースなんて。
石坂 1964、65、66年ごろなんですが、大体、国産エレキギターの会社というと、グヤトーン、テスコの2社しかなかった。そのあと出てきたのが、メーカー名はわかんないけど、エルクというギターだった。
だいたい「グヤ」で始めるんだけど、これがその、フレットのとても押さえにくくできてる代物でね。だからこそ上手くなるんだって説もあったが。爪は割れるわ、血が出てくるわ。
とにかく当時で1万8000円のベースなんです。モデルはそれしかない。
実は、弦が少ないのがいいかなと思って、ウクレレやったんですよ、最初。そしたらみんなに「似合わない、似合わない」って言われまして。
キングストーン・トリオが4弦ギター。テナー・ギターっていうんですが、やってて、試してみたらそれも音が変。それじゃスティール・ギターはどうだ。トンデモナイ。これも。難しくて。しかもカントリー用のスティール・ギターって、8弦なんです。
結局、図体もまあまあ大きいからベースだって、それでグヤを買った。その頃、いちばんの憧れのベースは、バーンズっていうイギリス製でした。ブラック・バイソンって言って、シャドウズが使ってた。これは、いまの感覚でいうと30万円くらいの値段でヤマハに置いてあったな。フェンダーのジャズ・ベースなどになると、垂涎の的以外のなにものでもないですね。
そういうのいつか買おうと思ったけど、買う前にやめちゃった。
浜野 ぼくの大学当時、ジャズ研にフェンダー一切合財寄贈された先輩がいたのですが、1カ月後には、ごっそり盗まれたってことがありました。