東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月16日

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浜野保樹 (はまの・やすき)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授

1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『大系 黒澤明』(講談社)『偽りの民主主義』(角川書店)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。(財)黒澤明文化振興財団理事、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

 当時の大学生は、割とフォークソングをやってました。僕らは、アコギ(アコースティック・ギター)じゃなくて、エレキの、ブリティッシュ・ロックをやったんですよ。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、といったところ。

 そこそこうまくはなっていたんだけど、そのころゴールデン・カップスの前身であるモジョ・メンとやったら、圧倒されたんだね。

 コンテストで勝って喜んだことがあったなんていっても、やっぱ俺たち、コピーばっかりだよな、って。アドリブなんて、どうやってやるんだい、なんて思っているときに、さらにクリームを聴いた。

 わたし、ベースやってたんだけど、クリームのベーシスト、ジャック・ブルース聴いて、これは、中途半端にやってても到底追いつかないや、と。

 そんなある日、スウィング・ウエストのバンドリーダーが、というのは堀威夫さんで、後のホリプロ社長ですけど、「オイ、君たち、やめな、こんな下手なの。親御さんが悲しむだろ」て。

 みんなして軽いショックを受けて、暗くなって、それから1週間後ぐらいかな、「も、やめようぜ」(笑)。

浜野 けど、石坂さんの頃、楽器ってどんなだったんですか。売ってたんですか、日本製のベースなんて。

石坂 1964、65、66年ごろなんですが、大体、国産エレキギターの会社というと、グヤトーン、テスコの2社しかなかった。そのあと出てきたのが、メーカー名はわかんないけど、エルクというギターだった。

 だいたい「グヤ」で始めるんだけど、これがその、フレットのとても押さえにくくできてる代物でね。だからこそ上手くなるんだって説もあったが。爪は割れるわ、血が出てくるわ。

 とにかく当時で1万8000円のベースなんです。モデルはそれしかない。

 実は、弦が少ないのがいいかなと思って、ウクレレやったんですよ、最初。そしたらみんなに「似合わない、似合わない」って言われまして。

 キングストーン・トリオが4弦ギター。テナー・ギターっていうんですが、やってて、試してみたらそれも音が変。それじゃスティール・ギターはどうだ。トンデモナイ。これも。難しくて。しかもカントリー用のスティール・ギターって、8弦なんです。

 結局、図体もまあまあ大きいからベースだって、それでグヤを買った。その頃、いちばんの憧れのベースは、バーンズっていうイギリス製でした。ブラック・バイソンって言って、シャドウズが使ってた。これは、いまの感覚でいうと30万円くらいの値段でヤマハに置いてあったな。フェンダーのジャズ・ベースなどになると、垂涎の的以外のなにものでもないですね。

 そういうのいつか買おうと思ったけど、買う前にやめちゃった。

浜野 ぼくの大学当時、ジャズ研にフェンダー一切合財寄贈された先輩がいたのですが、1カ月後には、ごっそり盗まれたってことがありました。

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