アメリカに次ぐ規模のベンチャー市場を持つ中国。人口の1割が起業家とまで言われる事態はどうもたらされ、今後どうなっていくのか。5つのキーワードから読み解く。
2.官の支援
中国でベンチャーを取り巻くエコシステムがここまで整えられてきたのは、国や省、市などの行政による強力な支援があったからだ。起業自体は民から始まった動きだが、それをここまで活性化させた官の力は見過ごせない。
「中国では何をするにも政府の意志が最も重要」
中国最大のベンチャーの集積地となっている北京。中でも全国的に起業の代名詞になっている中関村で、取材していてこの言葉を聞き、はっとさせられた。一見、民間が牽引しているように思える起業ブームも、政府の方針と一致しているからこそ持続・拡大しているのだ。中関村を例に、官がどのようにベンチャーを育成する流れをつくってきたのか紹介したい。
民が生み、官が育てた中関村
中関村。もともとは、北京市街の北西部の北京大学や清華大学近くのエリアを指していた。「もともと」という理由は、後ほど説明したい。有名大学が集中するという地の利から、1980年代に入ると科学技術者がここで起業し、技術系の会社が参集するようになり、日本の秋葉原のような電子街を形成していった。IT産業や研究所が集積し、「中国のシリコンバレー」と呼ばれるようになる。
民の側から産業集積が進んでいったわけだが、これを政策的にバックアップしようという動きが出てきた。1988年、国務院が「北京市新技術産業開発試験区」の設立を許可。これにより、中関村に中国で初の国家級ハイテク産業開発区が設置され、国と市が積極的な支援を行うようになる。1999年には試験区の区域面積を拡大して「中関村サイエンスパーク」とした。
科学技術振興機構の沖村憲樹特別顧問は、国と市による積極支援の背後に「先端的な科学技術の発展を総合的な国力の増強の一環として位置付け、国家として産業集積を支援していこうという戦略的な思考を読み取ることができる」と解説する。
ところで、冒頭で中関村について「もともとは」と言ったのは、中関村の範囲が今では途方もない広がりを見せているからだ。1988年に指定された範囲は100平方キロメートルほどだったが、今、中関村サイエンスパークの地図を見ると、北京市内の多くの場所が中関村として同じ色に塗りつぶされている(http://www.zgc.gov.cn/zgc/zwgk/sfqgk/sfqjs/yqdy/index.html)。06年、12年の2度のエリア拡大を経て、総面積は488平方キロメートルに広がった。
そのエリアは天津市、河北省にまで達している。この3つの行政区を合わせたものが中国の「首都圏」で、「京津冀(北京、天津、河北省)」と呼ばれている。今はまだ日本の首都圏のように市街地が接しあうような状態には程遠いが、将来は首都圏として一体的に発展することを目指している。中関村サイエンスパークが三つの行政区にまたがる現状からは、技術や産業発展においても「首都圏」の一体感を強めるという方針が見て取れる。中関村サイエンスパークは、今後一層拡大していく見込みだという。