現代の日本で祟りとか呪いとかを信じる人は少ないだろう。が、いまだ呪いが信じられ、それが時に成就する大陸がある。私はブラジル、エクアドル、ベネズエラでオリシャ、サンテリアなどと呼ばれるアフリカ系宗教に接する機会が何度もあった。なぜ、ベネズエラのサンテリアは効力がなく、ブラジルの黒魔術マクンバは効くのか?
無一文、無国籍でコパカバーナに住む
私はブラジルのバイア州サルバドールでパスポート、貴重品、金を盗難にあった。ブラジル経済大不振の1988年。インフレ率は年1000%を越え、犯罪も多発していた。生憎、警察もストライキ中で、盗難届も出せなかった。
残りの僅かな小銭を頼りにバスに30時間ほど揺られて知り合いのいるリオ・デ・ジャネイロに戻った。途中、隣の席のブラジル人男性が、私の憔悴した様子に気づき「マクンバをされたのか」とからかうようにいった。その時はまだマクンバが何を意味するのかを知らなかった。
リオの警察で盗難届を出し、パスポートとトラベラーズチェックの再発行、日本からの送金の手続きをした。生憎、日系人の知人は留守で、無一文、無国籍の人間をかくまってくれたのは、コパカバーナのレストランやカフェに出没し、観光客を物色している娼婦たちだった。
当時は、ヘルプと言う奇妙な名前の巨大ディスコがあり、その筋の女性、観光客、地元のブラジル人たちが足を運んでいた。カーニバル時には、日本のバブルを思わせる、下着姿の女性たちが踊り狂っていた。このディスコは風紀上よくないとのことで2010年に取り壊され、現在は「イメージと音」の博物館となっている。
女性たちにはグループがあり、ムラ―タといわれるアフリカ系の血の濃い混血のグループと、白人系のグループに分かれていた。私はムラ―タたちの持つコパカバーナの裏手にある高層アパートに、無一文、パスポート無しの国籍不詳でしばらく住まわせてもらった。
ある日、ムラ―タたちが、
「あの女気にくわない」
「白狐め。やるしかないわ。シモニーに頼んでみよう」
といって、ただならぬ様子で部屋を出ていった。
ブラジルのマクンバ
私も好奇心から部屋を出て、シモニーの部屋へと歩いた。昼下がりの高層アパートの寒々とした細長い廊下に、くぐもったような低い声がかすかに聞こえて来た。シモニーの部屋のドアの前に立つと、低いぶつぶついう声が中から泡立つかのように漏れ出て来る。立て付けの悪いドアの隙間からそっと中を覗いた。
薄暗い中に、数本の蝋燭の焔がぼんやりと見えた。蝋燭の周りを人影が影絵のように揺らめいている。蝋燭に囲まれた中に、背丈の長い女性が横になっていた。目が慣れてくると、蝋燭の回りに人形がいくつか置かれているのがわかった。唖然としてじっと突っ立っていると、ぶつぶついう呟きとともに、蝿を追うような鋭いシュシュ、シュー、という声が聞こえてくる。部屋の中では、黒い影が左右に交差しながら激しく身体を動かしていた。
呪いの儀式をやっているのだ! ブラジル文化の発祥の地、バイア生まれのシモニーが巫女の役割を果たしているに違いない(あとから、それはマクンバと呼ばれる黒魔術の一種だと知った)。中へ入って何が起こっているのか確かめたいが、日本人の男性がそこにいるのは、ひどく場違いに思えた。
ひとり部屋に戻って、しばらくすると、放心状態でげっそりした顔つきの女性が戻ってきた。そして、ドアが乱打された。女性がドアを開けると、警官2人がずかずかと部屋の中へ入ってきた。
「おい、なにをやっていたんだ?」
「いえ、なにも」
「シモニーという女は知っているか」
「いえ、知りません」
「身分証明書を出せ」
彼女はハンドバックから証明書を出して差し出した。
「ふん、おまえは?」
警官は私のほうを向いた。
「バイアで、お金を全部盗まれて、パスポートもないんです」
私の貧相な風貌に納得したのだろう。
「ちぇ、からっけつか」
警官2人はがっかりして、去っていた。
「あー、よかった。私は誰にも借金もない。だから、チクられなかったんだわ」
女はほっと胸をなでおろした。一方、シモニーは警官に捕らえられ、留置所送りとなった。