アフリカ系の宗教は世界宗教のひとつだ
南米大陸に到着した奴隷は自らの宗教を禁じられ、カトリックへの改宗を求められた。けれども彼ら彼女らは自らの信仰を捨てたわけではなかった。カトリックの神々と習合させ、密かにアフリカの神々を信じ続けた。このような混合・折衷は、日本の神仏習合と同様にシンクレディズムと呼ばれる。
ブラジルの場合は、アフリカのヨルバ族や時にバンツー族を起源とするカンドンブレ(Candomblé)、ウンバンダ(Umbanda)、キンバンダ(Quimbanda)などという分派に分かれ、それらの神々はオリシャ(Orixá)と総称される。オシャラ(Oxalá、太陽神)、イエマンジャ(Iemanjá、水の神)、シャンゴ(Xangó雷神)、オグン(Ogum 鉄の神)など八百万の神々である。
それらの神々と人間を媒介させる伝令がエシュ(Exu)。信者は願望を聖職者や巫女に伝え、彼らは願いに合わせて、エシュを介して適切なオリシャを憑依させる。供物となるのは、葉巻、ラム酒、ニワトリなど。
礼拝所(テレイロ:Terreiro)の儀式では、パーカッションが打ち鳴らされ、信者たちが踊り、ヨルバ系の言語が唱えられる。南米とカリブ諸国ではオリシャ信仰は人種を越えて広がり、基層文化のひとつとなっている。
リオ・デ・ジャネイロを訪れる観光客がその信仰の風景を見ることができるのは、年末のコパカバーナの浜辺。ヨルバ族の白い民族衣装を着た何十万という信者たちが浜辺を埋めつくして、女神イエマンジャに新年の願いを込めて大西洋に供物を流す。愛の成就、安産、病気の治癒、受験の成功などを祈念する。
私は南太平洋のマーシャル諸島で、たまたまナイジュリア人の国連職員と出会ったことがある。そのとき、オリシャの神々を話題にしてみたが、「なぜ日本人がアフリカの神々の名前を知っているのか」と驚いていた。西アフリカや南米、カリブ諸国の数億人という人口を考えると、オリシャ信仰は世界6代宗教の中に加えられてしかるべきかもしれない。
ところがマクンバという黒魔術となると、話は別だ。時に犯罪と密接にかかわってくる。呪いの標的にされたことが教団内の信者に知れ渡ると、事実関係が調査され、訴えの通りだと、その標的にはさまざまな嫌がらせが繰り返される。
モノが消えうせる、無言電話が始終かかってくる、ベッドに血だらけの羊の頭が投げこまれる。そのうち、呪いをかけられた人間は神経症になる。あるいは、交通事故で死ぬ。マクンバとは、社会的な殺人だった。だからこそ呪いは果たされる。ブラジル人が、マクンバを信じ恐れ、かつ呪いの行為は取り締まられるのも、もっともだった。
26年後に、私はワールドカップに沸くバイア・サルバドールを再び訪れた。黒人のローマとも呼ばれ、アフリカから奴隷が350万人も到着した街である。人類遺産となった旧市街は、以前はいつ襲われるかわからない不穏な空気に満ちていたが、最近は治安が回復し、古い街並みも綺麗に整理され、30年前に宿泊した1日3ドルのホテルは、高級ホテルに生まれ変わり、宿泊費が300ドルと100倍になっていた。
そのとき、オリシャの儀式を行うテヘイロ(Terreiro)に潜入する機会があった。バイア州独立の記念日の7月2日(バイア州から、ポルトガル軍が撤退した日)で、英雄のインディオの神を祝う集会だった。祭壇にはオリシャの神々を形とった人形が置かれ、ラム酒や葉巻が供物として捧げられ、信者たちはパーカッションを打ち鳴らし、アフリカの言語を唱えていた。
エクアドルなどでもそうだったが、アフリカのオリシャ、ヨーロッパのカトリック、土着の先住民の三種混合の神なのだから、南米大陸は人種も宗教も多様に折衷されている。