――幼い頃は、いろんなものに触れたり、口に入れたりともっと感覚的なものに頼り、不思議な体験が多かったように思うのですが、大人になるとそういうことが減るような気がしますが、これはどうしてなのでしょうか?
仲谷:幼い子どもは、自分の身の回りを探索してゆくなかで、口に入れたり、触れたものを目で見ることによって、触った感覚と目で見たものの情報を統合しています。視覚と触覚の両方から情報を取得し、両者を照合することで対象物体の情報を推測する能力の獲得につながっていると考えられます。
大人になると、身の回りの物にいちいち触る時間もありませんし、触ると怪我をしてしまう可能性がある。視覚から情報を取得したほうが安全ですし、かつその物体の情報を触ることなく推定することができれば、素早く取り扱いかたを判断ができます。
筧:この本のイベントで東京工業大学准教授の伊藤亜紗さんとご一緒した時に、「目が見えない方は、触ることで世界を探索する。だから、目が見える人と触り方が違う」という話を聞きました。
僕らは、目の前に本があれば視覚で「本」と認識してから触りますが、目の見えない方は、まずはそこに何があるかないか確かめるために触るので、世界の感じ方が違うそうです。
――私はヨガをやっているので、ヨガの最中に体の様々な感覚を意識することがよくありますが、私も含め多くの現代人は、日常生活ではデジタル機器に囲まれて生活しています。そうなると直接相手の顔や動きを見なくてもコミュニケーションが可能です。そういう生活により、触覚は劣化していくのでしょうか?
仲谷:劣化はしていないと思います。ただ、数年前に電子書籍が台頭して紙の書籍がなくなるかもしれない、と話題になった時に「やっぱり本は紙媒体で触感がある方が良いよね」とよく聞かれました。デジタルメディア端末に囲まれているからこそ、改めて触覚に関して意識が向くようになっていることもあると思います。
たとえば、我々のようなアラフォー世代は、今のようなデジタル情報機器端末は普及しておらず、実物体に触れることが頻繁にある、いわゆる「アナログな世界」の幼少期を過ごしました。アナログとデジタルの両方を知っている、という世代です。この世代の中には、現在のデジタル情報機器端末に囲まれた生活に何か物足りなさを持つ人は少なくないと思うんです。そこで、身の回りに触れて心地の良い物を揃える人たちは一定数、いらっしゃると思います。その一方で、触覚的な物を排し視覚のみで情報を素早くどんどんと取得して吸収できる人がいるのも確かです。
そのような日常の生活の中で、どことなく触感が足らないと感じている人は、ヨガや瞑想といったボディワークや身体の感覚に向き合うエクササイズに興味を持っているのかなと思いますね。
筧:触覚の体験が均質化していることはあると思います。蛇口をひねらなくてもセンサーが反応し自動的に水が出たり、自動ドアも前に立つだけで開く。食べ物にしてもさほど噛まなくても食べることができます。あえて触れるとしても、スマートフォンのタッチパネルのような均質化した触感です。技術の進歩により、触れることなしに生活を送れる社会が出来つつある。そうなると、かなり意識的に触ることをデザインに取り入れていかないと触る体験そのものが減少します。