そもそも北朝鮮側の随行メンバーを見れば、今回の会談で経済協力に重きを置いていなかったことは分かる。外交と対南、軍事といった部門の重要人物を網羅した布陣だったが、経済関連部署の責任者はいなかったからだ。
金正恩委員長に随行したのは、対外的な国家元首の役割を担う長老の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長、対南工作を担う統一戦線部の部長である金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長、国家体育指導委員長を務める崔輝(チェ・フィ)党副委員長、外交を統括する李洙墉(リ・スヨン)党副委員長・国際部長、金正恩委員長の妹である金与正(キム・ヨジョン)党宣伝扇動部第一副部長、それに李明秀(リ・ミョンス)朝鮮人民軍総参謀長と朴永植(パク・ヨンシク)人民武力相、李容浩(リ・ヨンホ)外相、対南交渉の形式的な窓口である李善権(リ・ソングォン)祖国平和統一委員長だった。
金正恩氏の最優先目標は「体制の護持」だ
金正恩委員長は今回の会談で大きな経済的成果を得ていない。それなのに文在寅大統領が望む「平和」に関する項目に同意した。それは、これから「実利」を得られる状況になっていくと考えているからではないか。
板門店宣言には、文在寅大統領が今年秋に平壌を訪問することが盛り込まれた。過去2回の南北首脳会談で「適切な時期に」などと曖昧に表現されてきたこととは違いを感じられる。「次の首脳会談」の日程を明示したことには、北朝鮮なりの計算があるはずだ。前述したように今回の会談は米朝首脳会談の前哨戦であり、現状では経済協力に合意しても履行を見通せないということにしかならない。だが、米朝関係が画期的な改善を図られれば状況は様変わりする。米朝関係が改善され、経済制裁が緩和される状況が作られた後に南北首脳会談を開けばどうだろうか。
その時に北朝鮮が得る「実利」はきわめて大きくなる。そう考えるならば、単なる「時間稼ぎ」ではない完全な非核化に米朝会談で応じる心積もりを北朝鮮は既にしているかもしれない。少なくとも、そんなことは絶対にないと考えるべきではない状況になってきた。非核化によって米国から金正恩体制存続の保証を得られると北朝鮮が確信することになれば、朝鮮半島問題は構造的に変化することになる。
北朝鮮は多大な時間とコストをかけて核兵器を保有するに至った。当然、それを簡単に手放そうとはしないだろう。
しかし、核兵器は体制護持という目標を達成するための手段に過ぎない。金正恩委員長は今まで、核放棄に応じた後で政権崩壊に追い込まれたリビアなどを教訓にしてきた。核兵器の保有こそが体制を守るという核抑止の考え方だが、実際には核保有に伴うデメリットは大きい。米国からの圧力はどんどん高まり、中国までが経済制裁に同調するようになった。これまでにも本コラムで指摘してきた通り、経済制裁によって現在の北朝鮮が極度の苦境に陥っているとは言えないものの、数年後にどうなるかという展望を描くことは難しい。金正恩政権は何らかの局面打開を図る必要に迫られているのだ。
同時に考えるべきなのは、過去6年余りの言動を観察する限りでは金正恩委員長は合理的な思考をする人物だということである。日本で普通に考えられる論理とはあまりにかけ離れているため理解されにくいだけである。自らの体制を固めるために多くの人間を粛清する冷酷さを持っているが、科学者のような実務家には失敗も許容する。携帯電話の普及を後押しし、自由な経済活動を一部黙認することによって制裁下でも経済成長を実現させた。そうした合理的な人物であるならば、核保有に関しても目的と手段を履き違える可能性は高くないだろう。繰り返しになるが、北朝鮮にとっての最優先目標は現体制の護持だ。まだ30代半ばである金正恩委員長にとっては、これから数十年を見すえた安定が必要になる。
そして今は、北朝鮮の事情を理解しようとする文在寅氏が韓国の大統領で、ディール(取引)を好むトランプ氏が米国の大統領である。金正恩委員長にとっては最高の好機だと考えることができるだろう。