並進路線と核開発をめぐる動きを改めて整理すると、次のようになる。
金正恩委員長は2013年3月に並進路線を打ち出し、核開発を加速させた。そして北朝鮮は2016年1月に4回目の核実験を強行し、「核抑止力を質量ともに絶えず強化していく」という政府声明を出した。これを契機に核・ミサイル開発の速度はさらに上がり、同年9月に5回目、一年後の昨年9月に6回目の核実験が行われた。ミサイル発射も、防衛省によると2016年に15回23発、昨年は14回17発に上った。最後のミサイル発射となったのが昨年11月29日のICBM「火星15」で、北朝鮮はこの時に「核武力完成」という声明を出した。(詳しくは3月22日公開の「米朝首脳会談で金正恩氏が『最後の大勝負』に出る可能性」参照)
この流れで考えると、核武力を完成させたことで並進路線のフェーズは終わり、これからは経済建設を優先させるということになる。しかし、核兵器を持ち続ける意志が強いならば、並進路線に終止符を打つ必要は無かった。2016年5月の第7回党大会では「恒久的」な路線と位置づけられた並進路線は、今年の「新年の辞」でも堅持する姿勢が強調され、その後も重要性が訴えられてきた。金正恩委員長が自ら突如として「新たな路線」に転換したのは、対米交渉で経済成長への道を切り開こうということだろう。並進路線の終結宣言は、米国が米朝首脳会談を行なうために北朝鮮に要求した条件だった可能性すらある。
想定以上のことも起こりうる
北朝鮮は大きな実利のためならば180度の政策転換をできる体制である。日本人拉致事件への対応でも、それを知ることができる。小泉純一郎首相が2002年9月に訪朝して金正日国防委員長と会談するまで、北朝鮮は拉致事件を「日本政府による捏造だ」と主張していた。それなのに史上初の日朝首脳会談で、金正日委員長は拉致の事実を認め、謝罪した。その後の展開は日朝双方にとって予期しなかったものとなり、拉致事件はいまだに解決に至っていない。ただ、2002年の時点で北朝鮮が大転換を図ったことは事実である。
国際政治の世界では時に予想外の展開が起きるものだ。米国のレーガン大統領がソ連を「悪の帝国」と呼んだ時、レーガン氏の任期中に冷戦が終わるなどと考えた人は誰もいなかったろう。ゴルバチョフ氏がソ連の指導者として改革を始めた時も、東欧社会主義圏が崩壊することは予想できなかった。ベルリンの壁はずっと存在すると考えられ、東西ドイツの統一など夢物語でしかなかった。「米帝」を敵視してきたベトナムやキューバも体制を護持しながら国交正常化を果たしている。
それを考えれば、北朝鮮情勢をめぐって予想外の事態が起きないなどとは誰にも言えない。もちろん今までの経緯を考えれば北朝鮮の姿勢は常に疑ってかかる必要がある。しかも核放棄に合意することと、合意をきちんと守って本当に核放棄をすることの間には距離があろう。それでも、核放棄なんて絶対に応じないと決め付ける根拠は揺らいでいるのである。
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