補講 北朝鮮入門

2018年5月29日

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礒﨑敦仁 (いそざき・あつひと)

慶應義塾大学准教授

1975年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部中退。在学中、上海師範大学で中国語を学ぶ。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員、外務省専門分析員、警察大学校専門講師、東京大学非常勤講師、ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。慶應義塾大学専任講師を経て2015年から現職。共編に『北朝鮮と人間の安全保障』(慶應義塾大学出版会、2009年)など。

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澤田克己 (さわだ・かつみ)

毎日新聞記者、元ソウル支局長

1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11~15年ソウル支局。15~18年論説委員(朝鮮半島担当)。18年4月から外信部長。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『韓国「反日」の真相』(15年、文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)、『韓国新大統領 文在寅とは何者か』(17年、祥伝社)、『新版 北朝鮮入門』(17年、東洋経済新報社、礒﨑敦仁慶応義塾大准教授との共著)など。訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。

北朝鮮ばりの「瀬戸際政策」だったトランプ書簡

 トランプ大統領は崔善姫談話に強烈な反応を示した。談話発表の約14時間後となる5月24日朝(日本時間同日深夜)、米朝首脳会談の中止を伝えるトランプ大統領から金正恩国務委員長への書簡が公表された。書簡は、「あなたの最近の声明に示された大きな怒りと明らかな敵意をみる限り、長らく計画された今回の会談を行うことは残念ながら不適切だ」とした。

 さらに「あなたは自国の核能力を自慢したが、米国の核能力は非常に大きく強力だ。これらを使わないで済むことを神に祈っている」などと北朝鮮を批判する一方で、金正恩国務委員長への呼びかけに「閣下」という敬称を使うなど丁寧な表現が使われた。「拘束していた米国人を釈放してくれたこと」への感謝の意も示され、「考え直すことがあったら、遠慮なく私に電話するか手紙を書いてほしい」とも記されていた。トランプ大統領としても首脳会談を行いたいという考えは変わらないことをうかがわせた。

 この日に議会上院の公聴会で証言したポンペオ国務長官によると、北朝鮮は米国との事前協議に応じなくなっていたという。こうした対応に不信感を募らせていたトランプ大統領が崔善姫談話を機に、北朝鮮のお家芸である「瀬戸際政策」とも言える奇策で切り返したと言えるだろう。

あわてて? 事態収拾に走った北朝鮮

 北朝鮮のリアクションは非常に速かった。トランプ書簡公表から10時間も経たない5月25日朝に、金桂冠第1外務次官が再び個人談話を発表したのである。しかもこの談話は、「委任を受けて」発表するという異例の形式だった。「委任」できる人といえば、金正恩国務委員長しかいない。金正恩国務委員長自らの意向だと明らかにしたものだと言ってよい。

 談話は、米国側が「一方的な核放棄を迫ってきた」としつつも、「過去のどの大統領も下せなかった勇断を下し、首脳会談という重大な出来事をもたらすために努力したことに対し、内心で高く評価してきた」とトランプ大統領を持ち上げた。さらに「トランプ方式」なる新語を持ち出し、それが「双方の憂慮をすべて一緒に解消し、われわれの要求条件にも合致し、実質的に問題を解決する賢明な案になることを密かに期待もしていた」などと述べている。トランプ大統領の自尊心をくすぐろうとしたのだろうか。

 金桂冠談話は、米朝首脳会談中止の発表を「意外なことであり、たいへん遺憾」だと率直に語った。3月8日にトランプ大統領が米朝首脳会談にゴーサインを出したのと同じく、今回の中止発表もまた北朝鮮にとって驚きだったことを示している。個人談話でいつも通り対米非難のジャブを打ったつもりだったのであろう。

 崔善姫談話とトランプ書簡の応酬が行われていた時、金正恩国務委員長は地方視察に出ていた。金正恩国務委員長は2月初めから行っていなかった経済関連の現地指導を再開し、日本海側の江原道(カンウォンド)・元山(ウォンサン)市周辺にいた。このことからも、北朝鮮が会談中止という反応を予想していなかったことがうかがえる。

 北朝鮮が徹夜で作成したと見られる2回目の金桂冠談話は、回りくどいながらも首脳会談をなんとしても実現させたいという思いを率直に出さざるをえなかった。それを考えると、主要な場面ではきちんと米国が主導権を握っていると評価できる。

北朝鮮国民には知らされていないドタバタ劇

 今回の一連の流れは『労働新聞』で一切報じられていない。北朝鮮国民には知らされていないということだ。このことを見ても、北朝鮮にとって最初の二つの談話は「個人談話」による不満の表明にすぎず、米朝首脳会談をつぶすような意図はなかったことが分かる。もちろん2回目の金桂冠談話のように、トランプ大統領を「よいしょ」するような談話を知らせるわけにはいかないという事情もあろう。

 一方、CIAなど米国の情報機関は「個人談話」の意味をきちんと知っているが、トランプ大統領は部下からの報告をまともに理解していなかったように思われる。トランプ政権周辺には、北朝鮮の論理を理解する研究者も皆無に等しい。相互不信の強い両者による互いの意図の読み違えは、今後も問題を引き起こす恐れがある。

  
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