足立倫行のプレミアムエッセイ

2018年7月1日

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「我々の時代のヒーローだ!」と思った

 日大の両国講堂で、約3万5000人の学生の前についに古田会頭ら全理事が引き出され、「全理事総退陣」「表現・集会の自由」など全共闘側の要求を認め、署名したのだ。

 TVニュースを見た私は、同じ大学生(学年は私が1つ下)として、「秋田明大は我々の時代のヒーローだ!」と思った。

 もっとも、翌日の佐藤栄作首相の激怒談話の後、日大側は大衆団交の確認書を白紙撤回。再弾圧によって秋田議長ら幹部は潜伏し、翌年3月に秋田氏は都内で逮捕された……。

 〈社会は、われわれに黙れといった。諸君達は、真面目に大学を卒業し就職するのが一番すばらしい生き方であると。ノーノーと叫ぶ私の人間性を自ら圧殺して何がすばらしい人生だ。〉(『獄中記』より)

 部屋での取材を終え、私たちは表参道のステーキ屋で一緒に食事をした。

 日大闘争について聞くと、「今は、フッ切れてますが……」と答えた。

 「これからどうするんですか?」

 「学生時代は自動車修理工もいいかなと思ってたけど、具体的なことはまだ…」

 言葉の頼りなさと裏腹に、食べっぷりは豪快だった。大ジョッキのビールを軽く空け、肉と野菜も大盛りの飯もきれいに平らげた。

 「健康なエネルギーの塊(かたまり)」のように映ったかつての日大全共闘議長の面影は、現在も頑健な肉体と旺盛な食欲には残っていると感じ、私はそうした視点で人物ルポをまとめた。

 それから、40年以上である。

 最近のメディアによる報道を見る限り、日大の田中理事長は教職員組合などの説明責任の要請に応じる気配はなく、まるで日大闘争時の(大衆団交前の)古田会頭の如く、騒動の自然消滅を待っているかのようだ。

 私はふと思い出し、1994年発行の『全共闘白書』(新潮社)を取り出してみた。

 そこには、編集委員会のアンケートに対し、77大学計256名の元参加者が回答を寄せているが、その中に秋田氏のものもある。

 日大闘争から4半世紀を経て、故郷の広島県で自動車整備工場を営む秋田氏は、運動による損害を「有名になったこと」と書き、次いて、運動の歴史的役割について記している。

 「一部の支配者に運動の弾圧方法をことこまかに教えたと思う。私の偏見か?」

 私は改めて、鋭いと思った。

 日大闘争後、各学部は新設のものを含めバラバラな配置のまま固定され、「全学共闘」のような集団は結成できなくなったし、体育会系の学生が卒業後日大職員に積極的に採用され、日大の組織全体の体育会化が進行したからだ。

 ちなみに、古田会頭に気に入られて69年に日大職員となりやがて理事長まで昇りつめた田中英壽氏と秋田明大氏は、同じ65年の入学であり、同じ経済学部の学生だった。

  
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