2024年5月14日(火)

古都を感じる 奈良コレクション

2011年4月28日

 嘉永4年(1851)6月10日、たくさんの人たちに見送られながら、聖謨は奈良を離れた。見送り人の多くは遠く木津川の渡しまで同行した。目を引いたのは貧しい人々の群れで、数百人が子どもを連れ、老人を介護しながら、聖謨をどこまでも見送っていたという。

 のちに聖謨は、幕府を代表してロシア(代表はプチャーチン)との外交交渉にあたり、国後〔くなしり〕・択捉〔えとろふ〕・歯舞〔はぼまい〕・色丹〔しこたん〕の北方四島を、わが国の固有の領土と認めさせた。

 慶応4年(1868)3月14日、勝海舟と西郷隆盛の会談で江戸城の明け渡しが決まり、翌15日の江戸城総攻撃は辛うじて回避された。しかし、その15日、江戸にいた聖謨は、幕府に殉じてみずから命を断った。68歳だった。

 先日の二月堂参籠所での花見の折、天理大学名誉教授の近江昌司さんに岡野弘彦さんの短歌を教えてもらった。

 岡野弘彦さんは大正13年(1924)7月7日生まれ。昭和天皇の作歌指南役を務めたこともあり、平成18年(2007)には歌集『バクダッド燃ゆ』で第29回現代短歌大賞を受賞した日本を代表する歌人のひとりである。

  ほろびゆく炎中〔ほなか〕の桜見てしより 我の心の修羅しずまらず

 昭和20年4月13日の夜、東京は二度目の大空襲を受けた。岡野さんを乗せた軍用列車も炎上、なんとか逃れ出た岡野さんは、そのとき、土手の上の花ざかりの桜並木が、熱風に耐えかねて、次々に炎となって燃えあがってゆくのを目撃する。終生忘れ得ぬ光景であろう。

  さまざまなこと思い出す桜かな

 これは松尾芭蕉の句。私をとても可愛がってくれた薬師寺の高田好胤さんがいつも口にしていた。桜をみると、本当にさまざまなことを思い出す。

二月堂参籠所から桜をみる

 東北の被災地にも桜が咲いたと聞く。壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上〔ゆりあげ〕地区で、津波で根元から倒れた桜の木が花を咲かせたニュースも流れた。

 自粛すべきは、花の下でのバカ騒ぎであって、花見そのものでは決してない。


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