2024年12月22日(日)

WEDGE REPORT

2018年7月14日

 北朝鮮の核開発をめぐって、さきに平壌で行われた米朝協議は、「重要な分野で進展があった」というポンペオ米国務長官の説明とは裏腹に、激しい対立の場となったようだ。長官と金正恩・朝鮮労働党委員長との会談も実現せず、協議終了後、北朝鮮外務省は米国を「強盗的」と口汚く罵倒した。しかし、少ないながら成果があったのも事実だ。非核化の履行に向けた作業部会を設置し、朝鮮戦争不明米兵の遺体返還についての協議を開始することで双方が合意した。遺体返還問題で北朝鮮が積極姿勢に出てくれば、核交渉全体への好ましい影響が期待できよう。

 米国とベトナムが関係開園を果たしたのも、やはり不明米兵の遺体返還での協力が契機だった。しかし、そう簡単にことが進むかどうか。協議を通じて北朝鮮は遺体捜索の経費負担を要求してくるだろうが、米側がこれに応えれば、「制裁を科している相手に資金を供与するのか」と国内強硬派の反発を招きかねない。それを無視してトランプ大統領が、北朝鮮の気を引くため大盤振る舞いする可能性も取りざたされているが、大きな論争に発展すれば、核交渉の前途を危うくすることにもなりかねない。

3度目の訪朝をしたポンペオ長官(代表撮影/ロイター/アフロ)

朝鮮戦争で7700人の米兵が不明

 さきの協議の内容については、すでに各メディアが詳細に伝えているので、立ち入るのは避ける。とぼしい成果のひとつ、米兵の遺体返還問題は、シンガポールでの米朝共同声明に盛り込まれ、北朝鮮側が「即時引き渡し」を約束していた。

 トランプ米大統領は首脳会談後の6月20日、ミネソタ州ダルースで行った演説で、遺骨200柱が返還されたと明らかにした。しかし、ペンタゴン(国防総省)当局からの確認がなされていなかったため、当初、「この問題がポンペオ長官の訪朝に影を落とすことになるかもしれない」(7月6日、米ブルムバーグ通信)という見通しが伝えられていた。
 
 朝鮮戦争(1950年6月勃発、53年7月休戦協定署名)では、3万6000人以上の米軍将兵が戦死、約7700人が行方不明になっている。その遺体返還問題、実は今回の共同声明によって動き始めたものではない。過去においても、北朝鮮は遺骨が発見される都度、米国に返還してきた。
2018年6月24日付産経新聞によると、北朝鮮は1990-94年に、400人分が混在しているとみられる棺208基を米国に引き渡した。96年からは米朝合同の捜索が行われ、2005年まで33回、229基分が発掘、回収された。2007年にも7柱が米側に引き渡された。

 数十年ぶりで母国に帰還した遺骨はハワイ・真珠湾のヒッカム基地にある国防総省の戦争捕虜・戦闘時行方不明兵集計局(DPAA)の施設に運ばれ、DNA鑑定などで身元が判明すれば、遺族に引き渡され、希望に沿ってワシントン近郊のアーリントン国立墓地などに埋葬されてきた。これまであわせて459柱が家族のもとに帰った。

北朝鮮、資金獲得の狙いも?

 米朝合同の捜索が始まった1996年、米国はクリントン政権(民主党)だったが、94年の米朝枠組み合意が曲りなりにも機能し、双方の関係が比較的安定していた時期だった。枠組み合意で、北朝鮮が約束した核開発凍結の見返りとして、米国、日本、韓国などが、エネルギー源として重油、軽水炉の供与を北朝鮮に約束し、その建設準備が進んでいた。

 北朝鮮がこの時期、またそれ以前に遺骨収集、返還に応じたのは、善意を示すことで信頼を醸成、米側との関係を改善したいという思惑からだった。一方で、経費負担の名目で、米国から資金を引き出す狙いもあったのではないかという見方も米国内でなされていた。

 96年5月、合同捜索実施で合意した際、北朝鮮は過去に発見、収集された遺骨の輸送費用など400万ドル(約4億4000万円)を要求してきた。米側は実際に米兵の遺骨と確認されたものが少なかったことから、これを拒否、半分の200万ドル(2億2000万円)で妥協した。無関係の遺骨が混入されたのではないかと米側が疑念を抱いたようだが、北朝鮮がその後、日本人拉致被害者のニセの遺骨を送りつけて来た事実を想起すれば、その行動パターンが浮かび上がってくる。米国は1993年に返還された46柱についても約96万ドル(1億500万円)を負担した。

 1997年中に行われた3回の合同捜索だけに限ってみても、米国は、輸送経費、人件費、発掘による農作物への保証まで含めて31万ドル(3400万円)を拠出。2005年に合同捜索が終了するまでの間、33回にわたったその都度、米国は費用を負担してきた。


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